中山ラビのこと

ぼくがはじめて中山ラビの名を知ったのは97年の4月、Rock.jpというDJグループのデモテープをもらったときだった。 カヒミ・カリィや MariMari、ハードコアのバンド等に混じって「ねえ、やめてごらん」が収められているそのテープを聞いて、一風変わった名前とやはりどこか変わった歌詞に少し気持ちがとまったのだった。 知り合いの音楽通に聞いてみたが、とにかくむかしの人らしい、ニューウェーブの辺と関係あるらしいとかいうようなことしかわからなかった。

夏になって、中古盤屋巡りの際に普段は見なかった「ニューミュージック」とか「フォーク」のコーナーを探して見た。「ひらひら」が見つかった。 いかにも70年代ニューミュージック女性歌手の怨念、みたいなジャケットの油絵に一瞬ひるみつつも、700円だか800円だか、えらく安い値段がついていて、これなら外れても笑ってすませようと買った。

高校生の頃仲間内で「うらみます」だとかなんとか歌うようなフォークが(ギャグとして)話題になっていたことがあって、その類の歌手だろうか、とこわごわ針をのせた。たしかに「こえられない」はその手だといえるかもしれない。しかし、「たいへんだあ!」にはなんとチンドンが入っている。そしてロックだ。 ソウル・フラワー・ユニオンに先立つこと約20年。チンドン・ロックはすでにあったのだ。そしてB面の「夢のドライブ」はソウルにのせてのラップだ。とにかく驚いた。

だが聞き終わって、こうしたエキセントリックな曲よりも、オープニング「川にそって」が妙に心に残っていることに気づいた。 鼻にかかったような歌い方。 終わりがどこだかよくわからないメロディー。 60年代の失敗を慰める後ろ向きな歌に見えながら、どこか強いものを持った歌詞。 こうしていつのまにかぼくはすっかりラビのファンになってしまっていたのである。

その後のことは幸運の部類であろう。 神戸の中古盤屋は歌謡曲やフォークに強いらしい。すぐにたくさんのレコードを買うことができた。同時に自分が運営している ソウル・フラワー・ユニオンのファンページ などをきっかけに知り合った年上の人達から、買えなかったレコードやむかしの雑誌、ラビのDJ番組の録音テープなどが次第に集まった。

そうして自分の個人ページにラビのディスコグラフィーとアルバム評を載せた(97年11月)。 更に月日が経って、ソウルフラワーのページからぼくの個人ページを見て関心を持ってくれた人がいたことが、このラビWeb創設のきっかけである。

72年にレコードデビュー、87年のレコードを最後に歌手をすっかり止めてしまったらしい中山ラビさんは、現在では国分寺の「ほんやら洞」の経営者だそう。 そもそも京都の「ほんやら洞」を本拠地にシンガーとして活動をはじめた人の現在としては妥当な気もするが、子供ができて以来自分の音楽活動とはすっかり縁を切ったというのはどうもさびしい話だ。

(1997.11.23 初稿. 99.02.08 改稿. 最終修正 99.02.16)

中山 貴弘

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