ラビにこんがらがって

ラビの歌を聴いてみようと思ったのは、ボブディランを日本語で唄っていたという記事をどこかで目にしたからに間違いはないのだが、今考えてみるとそこには何か強力な誘因があったのではないかと思わざるを得ない。発売直後の4thアルバム「もうすぐ」を買ったとき私は中3で、それまで自分で買った日本人歌手のLPといえばイルカとたくろうだったのだから、いくら雑誌の広告に惹かれたからといって全く聞いたことのない人のレコードを買うなんてどうみても変だ。それにディランズ・チルドレンということであれば、友部正人なんかも聴いてしかるべきだったのだが、友部のLPを買ったのは大学に入ってからだから、ラビとの出会いはやはり運命的なものだったのかもしれない。

その「もうすぐ」は、私を徹底的に打ちのめした。当時そこで唄われていることのほとんどが理解できなかったけれど(今でも自分勝手な解釈をしているだけだが)、皮膚感覚とでもいうべき歌の生々しさが私を捕らえて放さなかった。そしてこのLPは人に聞かせてはいけない秘め事のような感じがして、当時一緒にレコードを聴いていた友達や弟にも聞かせないでひとりでこっそり聴いていたのを思い出す。

入学が決まった日に「女です」と「ひらひら」を購入した私の高校における音楽生活は、ラビとディランが大部をしめた。しかしラビの情報は限られ、日曜深夜のDJ番組も必死でニッポン放送にダイヤルを合わせて聞いたのもつかの間すぐ終了してしまい、地方ではライブを見ることもかなわず、ただひたすら新譜を待ちわび、そうやって買った「なかのあなた」や「はだ絵」を聴きながら、早く東京へでてライブを見る夢をひたすら育んでいた。

80年4月、大学に入り上京した私が東京で初めて見たライブはもちろんラビ。場所は渋谷ジャンジャン。間近で見るラビは眩しく、その淡々とした歌いっぷりに心を揺さぶられ、毎月のようにジャンジャンに通った。この頃ラビは毎月のようにジャンジャンで唄っていたように記憶するが、思えばここ以外でラビのライブを見た記憶があまりない。そういえば一人芝居をやったときもこの小屋だった。

同年の秋くらいからバンドが「会えば最高」のレコーディングメンバーに固定されてきたが、これは凄かった。ラビ自身が、歌ってると後ろで機関銃が鳴っているようだと評していたツインドラムを核とする重厚なロックサウンド、そしてそれに負けることのないラビのボーカル ―ラビのアルトの声はどんなにサウンドが厚くでもよく通り、歌詞がはっきり聞こえた― 、何より歌ってるラビが一番楽しそうだった。

私の中では、聴き始めの頃からラビはフォークというよりはロックの人というとらえかたをしていて、そういう意味で強力なバンドサウンドにのって高音域まで達する伸びやかなボーカルが聴ける「会えば最高」はラビの最高傑作だと思っている。次の「MUZAN」は楽曲の一部をムーンライダースのメンバーが手がけているが、ラビが創った曲は依然輝きを失ってはおらず、ライブでもこのLPの曲はそれまでの流れのなかで違和感なく受け入れることができた。

その「MUZAN」のジャケットをみればわかるように、周囲がラビを「大人の女」の歌というイメージで露出させようという戦略を展開し始めたのが80年代前半のことだ。次の「SUKI」と「甘い薬を口に含んで」はそういう路線上に作られたものだということがいえる。しかしながらラビは万人が共感できるような「大人の女」ではなくして、その前に「ひとりの女」であった。彼女の創る歌の風景は、彼女の眼に写ったまま躰で感じたままが広がる、限りなく個人的な世界である。おそらく「SUKI」以降、ラビの感じる風景が彼女の中で劇的に変わったのではないかと、私は勝手に解釈している。彼女の躰の奥から湧き出てくる歌の源泉が枯れてしまったのではないかと。これ以降のアルバムでは、ラビが詩を書いていても生彩を失ってしまったのはそのためなのだろう。これらのアルバムをプロディースし曲を書いたのは加藤和彦だが、彼は業界では「困った時の加藤和彦」と言われているぐらい才能のある人で、拓郎や泉谷のアルバムでは本人たちより本人らしい曲を書いているのだが、その加藤をもってしてもラビの魅力を引き出せないのは、そう考えれば当然のことだ。

83年ごろからはライブもほとんど行われなくなり、ラビの情報を耳にすることが少なくなった。そして私が最後にラビを見たのは、87年4月の「Balancin'」発売記念ライブだった。会場はジャンジャンではなくそのとなりに新しくできた西武のSeed館にあるシードホール。バックはレコードと同じメンバーで、演奏された曲も新譜の曲のみだった。当時の言葉でいえば日本のフュージョン界をリードするミュージシャンを集めただけあって、その演奏は素晴らしかったし、久々にラビのステージを見てまた復活してくれるのかと期待していたのだが、その後我々の前から姿を消してしまった。来年ジャンジャンは閉鎖が決まっているとのことだが、その前にぜひあのステージでもう一度ラビの歌う姿を見てみたいと密かに願っているのだが。

私はずっとラビ以外の女性歌手に興味が持てなかった。90年代に入ってそれでもいろいろな女性の歌を聴くようになったが―最近では女性歌手のほうがその表現力において、いままで閉ざされていたものが一気に開放された感があって面白いと思っているのだが―、よく考えてみると興味を持つ基準が「声」であったり「曲の良さ」であったりして、ラビのように歌の世界にまるごとはまってしまうことはない。彼女が居なくなってもう12年になろうとしているのに、私はまだラビに絡めとられたままでいるのかもしれない。

松沢明彦


上記文章は1999.02.18 に投稿していただきました。99.3.01 一部修正。
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