金沢の夜のダブルドラムスは少しずれていた

私が初めてラビを聞いたのは、私のバンドのメンバーが、でたばかりの「会えば最高」と「なかのあなた」を一緒に家に持ってきたときに始まりました。それまで日本人には、まるで興味がなく毎日毎日ニューヨークパンクばかり聞いてたんですが、「橋が燃える」を聞いたときに「なんだ、なんだ、なんだこの詩と音は・・・」日本語でもシュールな詩がかけるんだ、しかもドラマチックでメロディーラインが涙腺をくすぐるではないですか・・父親が前々年に死んで、関西の大学へ行きバンドをするという夢がくずれ、一応、就職はしたもののつまんない毎日を送ってる自分にラビの詩と音は突き刺さってきました。

すぐにレコード屋へ走り置いてあった「会えば最高」「なかのあなた」「ラビ女です」の3枚を買いました。

その年の暮れ(80年)ラビ好きのメンバーが「金沢のジャクソンというライブハウスに来るそうだ」という情報を持ってきました。これは、嫁さんを質に入れてでも(この当時はまだ嫁さんいませんが)見にいかなくては、と言うことになり私のバンドメンバー3人で見に行きました。

かなり早くライブハウスに着き、セットを見渡すと「お〜ぉダブルドラムスだ!これは盛り上がるぜ!」とメンバー間で期待が渦巻いてました。 ところが開演近くになっても、お客さんが来る気配がない・・・スタッフを抜かすと10人もいない・・・・

「おいおい中山ラビだぜ!金沢はどないなっとんじゃ」(自分も最近、知ったことは棚に上げ)と文句を言ってるといきなりの暗転、「困った女」が始まったのでした。途中ドラム同士のタイミングが合わないと言ったぶぶんもありましたが、とにかくパワフルで確か2時間近くやってくれました。感激しまくった私は、ライブハウスのスタッフに頼み込み、楽屋へ通して貰いました。その時のラビの第一声は「レコード買ってね」でした。握手とカバンにサインをして貰いうれしくて、うれしくて一週間は手を洗わないし、サイン貰ったカバンはみんなに自慢してました。(誰も知りませんでしたが・・・・・)

そのライブハウスもその後潰れ、貰ったサインカバンも紛失し、レコードも棚の片隅に眠り、いつしかラビの名前も忘れていました。

で、そんなある日、ホームページで再びラビに出会いました。本当、嬉しかったです。 友達の個展を見に大阪へ行ったときも「キングコング」でラビのレコードを探してしまいました。 欲しいのはなかったですが・・(会えば最高以降の作品ばかりでした)

また活動してくれるなら、こんな幸せはないのですが・・・・


1999.3.5
nen nen@po2.nsknet.or.jp [http://www2.nsknet.or.jp/~nen/]

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