端的には,この時を契機にしてラビの魅力に取り付かれたわけだ けれど,ライブでのラビの魅力はうただけによるものではなかった. 実はライブステージでのラビで僕が一番最初に惹かれたものは,う たそのもの以上にステージでの話だった.その話っぷりは本当にカ ッコつけることのない真実味のあるもので,すごく素直に自分を出し ているように感じられまいってしまった.それは例え ば他の女の歌い手達には今に至るまでほとんど見られないものだ し,とりわけ初期のステージでは勤めていた頃の話とか印象に残る 話が多かった.
そうした姿勢はうたにも当然当てはまるわけだけれど,うたの場合 には必ずしもうまく結晶しているとは言えなかったのかもしれない が,例えば僕にとってこの時のライブのように,いったん入り込んで しまえばその話同様すこぶる魅力的に感じられるようになるわけで ある。
そしてルックス.最初の頃写真などでラビを見たとき,別段素敵だ なあとは思わなかった.それどころか正直言って少々もっさりした人 (わぁーごめんなさい!)だとすら思った.これは特に女性には大変 失礼な言い方なんだけど,少なくとも余りあでやかな感じからは遠か ったことも事実であった.
それがライブでわずか数メートルの間近から見るようになって,見 方が変わってきた.まず歌っているときのラビの姿に惹かれた.サ ングラスを掛けたり掛けていなかったり,長い髪が顔をおおい隠し, ギターをかき鳴らす腕は白く細く,まさに女だなあ!という感じでいい なあと思った.何かに打ち込んでいる者の美しさということも当然あ ったのだろうけど,ラビが本当の姿を見せるとき魅力的であることも 確かだった.
こうしてライブ・ステージでのラビのうたばかりでなく,話とその姿に も,僕は引き込まてしまったのである.
それから後のこと
ステージでのラビの魅力というのは,一人で弾き語りで歌うときと バックを付けて歌うときでは現れ方が極端に違うが,本質的には変 わらないと思う.その事については別の機会があれば述べてみたい と思うので,ここでは印象に残っているライブを2,3上げてみる。
前にも述べたように,僕はジャンジャンへ行きだしたのが遅かった (多分76年の5月)ので,スラッピー・ジョーがバックをやっていた頃 のライブは数回しか見たことがないのだが,その中で『帰ってきた友 部正人』というコンサートにラビがゲストで出たときのステージ。「夢 のドライブ」だったと思うけど,後ろを向いて踊るラビの腰付き・・・・ いや!・・・・僕は見ていいんだろうかと目をそらしつつ恐る恐る見入 ったのでした.いやあ!純情でしたなあ.ちなみに隣にいた友人は ラビのお尻ばかり見ていたとの事でした。
僕にとっては思い出のある西荻ロフトにラビが最後に出たのが, 78年の11月だと思う.これが印象に残っているのは例の「チューリッ プ」を僕の聞いた限りでは最後にうたった時だからで,この時のライ ブで一番と言っていいほど良い出来だったと思う.帰り道で他にもそ う話している人がいた.
そして下北沢のロフトでのやはり最後のライブが79年の1月.この 時は弾き語りとバックを付けてと両方やったんだけど,その両方とも 良さが十二分に出ていたと思われ,帰りがけにそんなことを興奮気 味に話している人達がいたけれど,僕も全く同じ気分だった.
ともかくラビのライブの魅力と言うのは,とりわけそれが上手くいっ た時には 最高! となって抗し難いのである.それは現在に至る まで変わっていないと思う.
終わりに
歌っているときのラビは素敵だと感じるようになったと述べてきた. けれど実はそのうち普段の時でも「いいなあ」と思うようになっていっ たのである.これは僕の見方が変わったと言うこともあるかもしれな いが,ラビ自身が2枚目のレコードを出す当たりから綺麗になった 確かなようだ.本当に! ああ,素敵ですねえ.
このようにして、 「ラビのうたにひかれる → 歌い手(人間)とし てのラビにひかれる → 女としてのラビにひかれる」という具合に ラビに魅せられて,今日まで至っている.これが良かったのか悪か ったのか自分でも分からないが,戻る道はないのである.少しずつ でも前に歩いて行きますか.
自分勝手な思い込みばかり書いてしまったような気がして,反省す る点も少なくないが,反面長年何となく思ってきたことを言葉化でき て,ほっとした気持ちにもなっている.僕とラビとの出会い,そしてそ の魅力に引き込まれてしまったことについて述べたわけだけれど, 最近のラビのこととかまた機会があれば何時か書いてみたいと思っ ている. [了]
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