2000.02.06 福井県高浜町文化会館小ホール「LIVE 風流者」*

数年前、仕事の車のラジオから「満月の夕」は流れてきた。 それは音楽番組じゃなくNHKの対談番組だった、誰の対談かは憶えていないがその 番組の司会者がお気に入りの曲だと紹介した、それが「満月の夕」だった。 懐かしく流れてくる旋律、傷ついて倒れてもなお立ち上がろうとする者を愛する歌 だった。

高浜の知合いから誘われた「ソウルフラワーモノノケサミット」のコンサート、一度 は足を運びたかった音楽家達の、いや漂泊の芸能者達の舞台だった。 僕は妻と高校に通う息子達と四人で60Km離れた高浜町へと出かけた。 ライブなどに誘ってもあっさり断る息子達だが「モノノケサミット」には興味があっ たようだ。

会場は200人程入るりっぱな小ホール、ステージには「風」「流」「者」と書かれ た垂れ幕。 一部に和太鼓の伊勢竜二と尺八のウベ・ワルターとのセッションがあり、二部に 「ソウルフラワーモノノケサミット」の面々が登場してきた。 手には三線、朝鮮の民族楽器チャンゴ、チンドン太鼓、そしてクラリネットにアコー ディオン。

曲は「美しき天然」から始まった、この曲のメロディを聴くと僕はサーカスを思い出 す。子供の頃の秋祭りに毎年、どこからかやってきたサーカスの一団。
僕はいつのまにか白と青の大きな縦縞のテントの中にいて「中川敬」の歌に引き込ま れていった。歌は「ラッパ節」「水平歌、農民歌、革命歌」と続いた。
数曲歌い終えても中川敬は歌い辛らそうだった、それは保守的な町に住む人達の異邦 人を見るような、戸惑った視線を感じていたせいなのかもしれない。
それでも震災後の神戸、長田の街で一番リクエストが多いという「アリラン」を歌う 頃には耳を傾ける者の心の鎖も少しほどけてきたように思う、僕の前に座る年配の男性や隣に座 る女性の手拍子がそんな事を思わせた。
歌は息子達と同じ年頃にフォークシンガー達によって知ることになった「もずが枯れ 木で」、「貝殻節」、「竹田の子守唄」や明治時代の演歌師の路上の歌、そして朝鮮、沖縄、 アイヌの民謡、「お富さん」「インターナショナル」そして「満月の夕」。
中川敬が力強くうたう歌はどの歌をとっても、彼らが手に持つ楽器が本当に合ってい ると思う。

会場の雰囲気はそれほど盛り上がったものじゃなかったけれど、僕達の心をとても満 足させてくれるものだった。
どうしようもない方向ばかりに進んでしまう国を「歌」が救うことはないだろう、し かし希望のない明日を迎える不安な日々、そこで暮らす人達の傷ついた心を勇気 づけてくれる力は「歌」は持っているはずだ。
そして「ソウルフラワーモノノケサミット」の歌にその力が一番備わっているような 気がした。

帰宅途中、高校3年生の息子が「ランボー詩集」とノートが欲しいと言うので本屋に 立ち寄った。 僕はランボーの一篇の詩を思い浮かべた。

 あらゆるものに縛られた 哀れ空しい青春よ、
 気むずかしさが原因で 僕は一生をふいにした
 心と心が熱し合う 時世はついに来ぬものか!
サンチャゴ(2000.2.7投稿)

魂花レビュー