2001.11.11 伊丹マダン

この催しは毎年恒例で行われている。地元に住んでいるぼくとしてはぜひモノノケに出てほしかった行事で、やっと実現することになった。

公開リハが予定されていた時間になっても中川が来ずおかしいなと思っていたら、自分で車を運転していて伊丹・宝塚を越えて三田まで行ってしまったらしい。ごくろうさま。

ヒデ坊は欠席、かわりにチンドン中西さん、洋子さん、トロンボーンとソプラノサックスにリヴ・ラフのお二人が参加。大原氏はいつものことだがかなり酔っ払っていて、いったい大丈夫かこのライブ?と始まった瞬間思ったのだが、中川は「なんか避難所とか復興住宅でこういうええ感じやった」としみじみしている。そして「カチューシャの唄」で立ちあがって踊る人がではじめると、バンドも客も調子が上がってきた。中川はしきりに長田の雰囲気を思い出しているみたいで、ということはこの街を気に入ったみたいだ。

売店の人達が店を放り出して踊りにかけつけた「アリラン」と久しぶりの「トラジ」、そして沖縄の人も多いことで大盛り上がりになった「安里屋ユンタ」、さらに人権啓発運動が活発な土地柄と知ってのことであろう「解放歌」「竹田の子守唄」と、選曲もよかった。

ライブをみていて、中川が「重層する記憶のうた」と言うことが少しわかった気がした。「『お富さん』で泣くおっちゃんもいれば、大笑いしながら『インターナショナル』を歌うおばちゃんもいる」というのだが、ひとつのうたがよびさます記憶は人によりさまざまで、その組み合わせがひとりひとりの個性である。

もっといえば、知っているといないとに関わらず、あるうたがよびさます感情はその人の生きてきた時間の記憶そのものだと思う。そして街もまた人々が行き来した記憶を持つ。これは歴史と呼ばれる。

バンドはそこで触媒の役割を果たしている。マレビト(異能を持つよそ者)として街へやってきて、普段はとじこめられている各人の、土地の、記憶をひきだしてひとつの「場」をつくるのだ。

ソウルフラワーの連中がモノノケの活動をまさにやめられないのは、彼ら自身がこの「場」に魅入られているからに違いない。もちろんこれまで繰り返し「ボランティアじゃない。自分らが面白いからやる」「自分たちは接続詞の役割をするだけ」とインタビューなどで語られていることなのだが、この日ライブを見ていて、あらためてそれを実感することができた。

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2001.11.18 中山貴弘

魂花レビュー