震災を機に、長田には本当にたくさんの外国人が住んでいるということがクローズアップされた。アジアンタウンというのはそうした人々のために細田町化学センタービル跡を提供したものらしい。 (アジアンタウンは「くつの街長田にアジア自由市場」というコンセプトで若い人が中心になって進めているのもだそうです。詳しいことがわかったらまた書きます)主催者が「このアジアンタウンはまだひよこにもなっていない卵の状態です」というのはそういう意味らしい。
駅をでたところには「くつの街長田自由市場」というビラしか貼られていず、ソウルフラワーのチラシに書かれてあった「新長田駅アジアンタウン旗揚げコンサート」というのとはなんか違うタイトルだなー、と思いつつ商店街にまず向かった。商店街でもなんとかまつりというのが行われていた。そこでおっちゃんにたずねたら、JRの駅より北側の東側だ、そのあたりでなんかやってるらしいけどよく知らない、といわれた。
そうこうするうちに会場には遅れて到着してしまい、『満月の夕』が始まってしまっていた。メンバーは全員女物の柄のゆかたを着ており(奥野のみ男柄)、お祭りらしさが感じられた。聴衆も大喜びで爆発気味の人もいた。
中川がすごく気分よさそうに歌い、三線もって飛んだりしていたのがめずらしいなーと思った。
『さよなら港』が演奏された。奥野が「また帰ってこいよー」などと叫ぶ役(合いの手?)をやらされていたのがおかしかった。
奥野がDJ番組(Kiss FM、木曜深夜1時)で語っていたのだが、7月21日に北区星和台で出前ライブを演ったが風邪気味の上にひどい日差しで倒れそうだったとかで、「叫ばなあかんとこあってんけど顔とか白うなってもうて」(笑)。
たぶんこの『さよなら港』のことだと思っていたのだが、やっぱりそうだった。
1996.8.14