Mononoke in Kamagasaki 1996 96.12.30 釜ヶ崎越冬まつり前昼祭

開演の少し前に三角公園へ着く。釜ヶ崎へくるのは初めてだ。公園いっぱいに人々が並んでいたのだが、それが炊き出しの昼御飯を待っている行列なのだと解るのに少し時間がかかった。図書館の正月休みが終わったらちゃんと本でも読んで調べてみようと思った。

岡本民(たみ)、おーまき・ちまき、趙博らに続いてチャンゴ隊が登場し公園内を演奏して歩く。その間にステージの用意が済み、モノノケの登場。メンバー七人に加えすっかりおなじみフィドルのコースケさん、趙博さん、足にはさむアフリカン・ドラムの男性二人(どなたかご存知の人いません?)。

聴衆のノリは今年ぼくがみたモノノケのライブで最高だった。ステージに乱入し踊っていたおやじがだんだん服を脱ぎ始め、ランニング&バミューダパンツ(派手な赤とオレンジ)姿になって、しまいには上半身裸になってステージ後ろの藤棚に登って踊り出した。「あぶない」とかいう声に混じって「死ねー」とかなんとかいう声も。あと、おもろいのがバンドに対する「ええぞ、あほ」「早よやれ、あほ」とかいう歓声。なぜか「あほ」がつくのだが、たのしんでるらしい。
コースケ氏が前に出てソロを弾くと、すかさずおばさんが「おひねり」を渡す。おひねりと弓を右手にフィドルを弾き続けるコースケ氏。かっこいい。マダムキラーの地位あやうし、中川氏、ってとこか。

『アリラン』の予想以上のの(予想通りの、か)盛り上がりに、予定外だったらしい『トラジ』が演奏されると、ステージに登ってきた白いハンチングのおじいさんが、ヒデ坊のマイクを奪う。結構いい声だったのだが伴奏と全然あわなかった。演奏後、悪いと思ったのか、中川に向かってしきりに「マスター、すいません」と謝る。マスター中川:「今度やるときはちゃんとハモってな」。

『聞け万国の労働者』での聴衆の盛り上がりはものすごい。しかしスローな曲になると「そんな曲ばかりやったら寝てしまうぞー」なんてヤジも飛び、『満月の夕』に同様な反応のあった長田の盆踊りのときと同様ぼくは少々はがゆい思いになる。それはモノノケという儲からない活動を行っている彼らとそれをめぐる状況(リスナーと音楽業界)に対するはがゆさとも重なるものである。
つまりモノノケの活動と、それに自ら触発されて急速に成果をあげているユニオンの音楽が、受け手の側では未だあまりリンクされていないということに時々苛立ちを感じるのである。
しかしモノノケで彼らを知った年配の人々が、「酸欠になる」と文句をいいつつもユニオンのオールスタンディングのライブ会場に目立って増えてきたのも事実である。そして十代のファンも増えてきたそうだ。モノノケのライブをきっかけに再びライブに足を運ぶようになったインディーズ時代のファンもいる。後はレコード会社にせめてもう少しちゃんとしたマーケティング活動を期待したいのだが無理だろうか。

四時前、そろそろ冬の短い昼が終わろうとし、十二月にしては異常なほど暖かい日ながらも寒さを感じ始める時間になった頃、この日の祭りは終わった。例の上半身裸おじさん(セレブレーション・コンサートのときも、ステージに上って踊っていたそうです。)がステージ上でマイクを握り「本当の闘いはこれからだ」という意味のことを話し、趙博を再びステージに呼び戻す(モノノケの面々にも戻ってきて欲しかったみたいだったが)。趙の音頭で越冬まつりスローガン「連帯の炎を焚火の炎に!」を叫び、この日ステージは幕となった(催し自体は正月まで連日行われるようだ)。

この一年、ソウルフラワーの後ろにくっついていろいろなところへ(地理的、精神的に)行った。様々な現状の震災の被災地、被差別部落、在日コリアンの集まり、その他もろもろ。「ソウルフラワーのファンであることで自分が何かやっていると勘違いしている連中がいる」という厳しいことばも聞いたことがあるのだが、知らなかったことを知り、関わることのなかった問題について考えるきっかけになった。そして、もちろんそういうことが起こったのはぼくだけにではないだろう。

1997.1.3 中山貴弘


この日の曲目:
  1. 美しき天然
  2. 聞け万国の労働者
  3. カチューシャの唄
  4. アリラン
  5. トラジ
  6. ドンパン節
  7. 安里屋ユンタ
  8. 貝殻節〜アランペニ
  9. がんばろう
  10. 竹田の子守唄
  11. 復興節〜東京節
  12. さよなら港
  13. (アンコール)道頓堀行進曲


追加:本さがしました:
釜ヶ崎 : 歴史と現在 / 釜ヶ崎資料センター編. 三一書房, 1993.
だいたいの事が概観でき、とっつきやすい本だと思います。(1997.1.17)


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