970412 Shogaisha Shunto '97 97.4.12 '97障害者春闘

昨年末の釜ヶ崎以来ぼくにとって約四ヶ月ぶりのソウルフラワーになった。この日は「障害者春闘」ということで、正午にはデモ行進、つづいて講演があり夜の部がバンド出演というプログラム。
会場のホールに向かうエレベーター、途中の階で突然扉が開くと河村が立っており、乗り合わせたファン一同に少し動揺が走る。どうしていつも河村をよく見かけるのだろうか、ほんとに不思議。

ホールではサックスとパーカッションの演奏が始まっており(パンフレットによると「俄(にわか)バンド」)つづいてYANOMANこと矢野あきらさん(4.26に北野のT2楽屋でライブあり)のギター弾き語り。豆腐屋さんや駄菓子屋さんの楽しい曲が演奏されると、見物衆が早速踊りはじめる。「この曲で踊ってくれる人がいるとは思いもよりませんでした」とYANOMANさん。

6時すぎ、モノノケ登場。大熊・光介抜きでちょっとさびしい。河村はエレクトリック・アップライト・ベースを弾いていた。モノノケはベースとドラムセットなしが特徴と思っていたので意外な感じ。
演奏では「現在、猛特訓中」という奥野のアコーディオンに注目した。大熊がいない分いつもよりアコーディオンがよく聞こえたのだが、ちょっと弱い気がした。奥野ファンでアコーディオン好きのぼくはあえて厳しい点をつけるが、もっと思い切って弾いてほしいなあと思うのです。同行者曰く「インターナショナルの時だけ音が大きかった」。その音量でばりばりやってほしい。『さよなら港』も叫び声(っていうのか)用のマイクを別に立ててほしいとか思う。いつもやりにくそうに見えるから。
また洋子歌う『ゴンドラの唄』が聞けたのは得した気分だった。モノノケでもこの人にもっともっとうたってほしい。太郎はこの曲のためにゴロスにタンバリンをつけていた。そういえばこの日の太郎は始終楽しそうな表情。

いつものことかもしれないが、この日の主役は見物の人々だろう。車椅子の人と一体となって踊る介護人。途中で(暴れすぎたせい?)点滴中の生理食塩水らしきものがこぼれ、ひやっとする一幕もあった。なぜか居心地のよさを感じていたのはぼくだけだろうか。昨年7月の新開地での作業所復興バザーもそうだったが、小さな集まりでのソウルフラワーはリラックスして演奏している。ぼくは好きだ。中川がいつになく楽しそうで、ボーカルも優しい。そういう時客も楽しそうだ。大舞台、大キャパで緊張感みなぎる演奏を見せる一方でこういう側面も持つ彼らが見たくて、若い人たちがモノノケを見に通うのだろう。「中央」からの批判はあるが、彼らのメジャーな部分とこうした親密な部分と両方を評価できる人たちは着実に増えているのではないのか。(まあ、「ヘイヘイヘイ」なんかにも出てほしいとは思ったりもしますが)

「障害者の友達が増えて、世の中にこんなに自分達と気のあう連中がいるのかとびっくりした」というようなことを中川や伊丹がいっている。「障害」というのは一人一人の個性が際立つ特徴であり、「みんなが違っていてあたりまえ」ということがあまりあたりまえでない社会にあって、障害者の集まりではみんなが違っていることがあたりまえだからだと思う。「自分があたりまえ」と思っている人の集合体である社会があって、そこから「あたりまえでない」とされた人々の集まりに立ち寄ったぼくは大変居心地のよさを感じる。「どこでも行くで バリアフリー」などという垂れ幕の楽しさ。願わくばこれが教育会館のホールだけのことではなくて三宮のセンター街で常時起こっていてほしいと思うのだ。

比較的短い演奏が終了したあと、カラオケ大会がはじまる。帰ろうとしたら、CD販売しているお姉さんに「このあとまた出てくるから」といわれ待つことに。本当にもう一度登場し、『満月の夕』を演奏。中川「おれらは別にどうしてもやりたいってわけやないねんけどね。ソウルフラワー2回も見られてほんまに幸せな人らやね」。
しかし、熱心に演奏を見つめる観客たちの前でうたった彼はかなり気分をよくしたと見た。終演後、ひとりエレベーターにのった中川をみて遠慮して待っていたファンに「下にまいりまーす」と声をかける。ファン一同意外さに少々唖然としつつ喜んでエレベーター・ボーイ中川の操作するエレベーターに乗り込んだのでした。

1997.4.13 中山貴弘

この日の曲目(曲順は不正確です):

  1. 美しき天然
  2. 聞け万国の労働者
  3. アリラン
  4. ゴンドラの唄
  5. インターナショナル
  6. がんばろう
  7. 復興節
  8. 東京節
  9. さよなら港
  10. (アンコール)トゥルルンテン
  11. (カラオケをはさみアンコール)満月の夕

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