初めて僕が彼らの音楽に出会ったのは1990年。偶然"歌う天気予報"という深夜の番組で聞いたNEWEST MODELの「杓子定規」であった。僕はその曲に一目惚れをし、次の日も夜中の三時過ぎまで起きてもう一度その番組を見直し(その番組は一週間くらい同じ曲を流す)、彼らの名前を知り、早速、彼らのアルバム「CROSSBREED PARK」を買うことになった。
しかし、そのCDから流れる音楽しか彼らと僕との接点は無かった。そして1年が経ち、夜更かしをしていたある日"歌う天気予報"から、ある曲が僕の耳にとまった。僕は一目でその曲が気に入ってしまった。そして、それが「もっともそうな2人の沸点」という曲であり、それを演奏していたのが"あの"NEWEST MODELであることを知った。
また、NEWEST MODELが解散し、SOUL FLOWER UNIONというグループになったということも立ち読みした雑誌「ぴあ」で知り、モノノケの存在も「ぴあ」で知った。
僕にとって彼らはCDの中で演奏する存在であり、彼らが動いている映像は前述の"歌う天気予報"で見たもののみであった。
といった長い前置き以上に長い苦難の時代?を越えてやって来ました日清パワーステーション!!開場時間の20分くらい前。初めて見る自分以外のソウルフラワーファン!!50人くらいすでに並んでいた。「自分以外にこんなにファンがいたのか(と言っても100人弱くらいだが)」と感動しつつも、並ぶことが嫌いな僕はその列を無関係のように通り過ぎ、近くで開場時間まで暇をつぶしていた。
開場時間になり戻ってみると、さらに列は延びていた。開場は始まっていたが列が無くなるまでしばらく時間がかかると思い、近くの自販機で缶ビールを買い一服してから戻ると案の定、列は全て開場に飲み込まれていた。僕は悠々と開場に入っていった。
場所は1階の立ち見席。開場に入ると初めて見る自分以外のソウルフラワーファンをちょっとチェック。思ったより普通の若者が多かった。早速ビールを買い。前から4列目の左側の位置に腰を下ろし場所を確保。しかし、なかなか開演時間にならない。時計をしない僕には開演までの時間が分からず、「何時始まるんだ?」と思いながら、モノノケの提灯や垂れ幕をボーっと見ながら開演を待つ。
「あっ!隣にいる女の子カワイイ」などとモノノケのことに対する集中力が途切れた頃、開演。腰を上げる。期待に胸を膨らませる。舞台をじっと見つめる。隣の女の子を少し忘れる。 そしてゲストシーサーズ登場。「モノノケの曲に対してどんな風に乗れば良いんだろうか?」というライブ前の不安も、シーサーズの演奏によって吹き飛んだ。戸惑っている人もいたがカチャーシーをしている人等、自分の好きな様に演奏を楽しんでいる人を見て気が楽になった。
そして初めて見る生のソウルフラワーの面々。目の前は洋子さん。画面横にあるモニターに映し出される他のメンバーもチェック。はじめのうちは音楽にのるというより、動物園で珍しい動物を見るように演奏しているメンバー全員を眺めてしまっていたが、その日はモノノケのCDの音源になるということもあり、開場は異様な雰囲気。中川が「いつもこのくらい盛り上がってくれるとやり易い」というくらいの盛り上がり。
会場の雰囲気は次々にCDのレコーディングのために演奏される初めて聞く音楽数々は、曲の頭ではみんな「どんな曲なんだろう?」ということで一瞬引くことが多かったが、曲調をつかんで来た後半部ではパワー炸裂といった変なのり方が特徴だった気がする。
しかし、時間が進むにつれてのり方にムラがなくなり、僕自身も両手を上に挙げて手の平を、濡れた手から水を切る時のように目茶苦茶な動きをさせたカチャーシーをしていた。もう僕の心の中には隣の女の子のことはほとんど無くなっていた。(ホントか?)
やがて道頓堀行進曲などの初めて聞く曲が終わり、アンコールで「復興節」では待ってましたといったとばかりに歓声があがり、「東京節」では「ラメちゃんたら〜」の大合唱。
今まで見たことも無かった首都圏に散らばっていた自分以外の大勢のファンがこの新宿の狭い空間に集まり同じ空気を吸い、同じ感動を味わっている。僕は孤独ではなかった。これだけの人と同じものに感動できるのだ。
2度のアンコールが終わり、満足感ともうアンコールなくて残念という気持ちが交錯しながら同じ音に熱中し同じ感動を味わった仲間を掻き分けて外へ出た。時刻は10時頃らしい。夜風が少し寒かった。いつものようにウォークマンを聞きながら帰るのはやめた。その日はもう他の音楽は聴く気がしなかった。僕は満腹だった。
渡辺 貴之 qqq@pmc.co.jp
1997.8.11