97.10.12 One Korea Festival 13th (Osaka) 97.10.12 ワンコリアフェスティバル13th(大阪城野音)

合唱、舞踊、ピアノ弾き語りと続いて、韓国のロック歌手カン・サネ+春日博文の登場で会場は一気に沸いた。どうもやや年配の追っかけまでいるらしい。カン・サネのアコースティックギターはボーカル共々とても力強かった。弦が切れてしまい、交換の間トークタイムに。日本語なのに驚いた。
そして、彼の母のためにつくったというスローバラードでは語りが入り、思わず「武田鉄矢?」とつぶやいてしまったのだが、やや違った。母親は南北分断のため家族に会えないのだという。そして、お母さんが生きているうちに家族と会えるよう、彼に出来ることはひとつ、祈ることだけだと。
5日の東京ワンコリアではバックは東京ビビンパクラブだったらしく、ちょっと残念だった。ロックバンドを従えたライブも聞いてみたい。

続いて多民族合同公演芸術団「We are One」。米国のアフリカ系、アジア系、ヒスパニック系、ヨーロッパ系の人々による、音楽と踊り。アフリカ風、ラテンアメリカ風、コリア風のリズムと踊り、メロディが切れ目なく順にあらわれ、時には混在する30分のステージを見せてくれた。(本来の公演は2時間。ダイジェスト)
代表はチャンゴのチョウ・ヒョンジュさん。92年のロスアンジェルス暴動の後、民族共生をよびかけるために結成された、とパンフレットにある。ロス暴動では新規参入者であるコリア系の商店が襲撃され、本来白人警官による黒人暴行事件の不当判決に始まった暴動が、マイノリティが他のマイノリティを攻撃するという結果になってしまった。
そのような説明の後で観たこのステージは、理想論、きれいごとというようりは、政治的な意味合いのあるひとつの実践に思えた。それぞれの民族文化の持つリズムが他の民族文化の踊りとうたを支えあい、全体でひとつのものをつくっていくのである。
そして最後に合唱された「アリラン」には感涙をおさえることができなかった。頭の片隅では「あかん。モノノケ喰われてしまった」と思ったりもしたのだが。。。

盛り上がってきたところで、筆者がむかし神様と思っていた喜納昌吉と、ステージ左右に2枚のカンバスを立てての黒田征太郎ライブ・ペインティング。
喜納はチャンプルーズからドラムとキーボードだけが参加した小編成でのライブ。黒田のペインティングで喜納の新作アルバムのタイトルである「すべての武器を楽器に」がカンバスに描かれると、客席から歓声があがった。
途中三線の弦が切れるが、そのまま即興三味線漫談タイムになってしまった。数年前からコザに「チャクラ」というライブハウスを開き、夜な夜な白熱のライブを繰り広げているらしいのだが、こうした客席とのかけあいなどはその成果だろうか。

ついでソウルフラワー。観客はどっと前に押し寄せてしまい、今年もえらい人気だ。中川はチェ・ゲバラのTシャツ(上に赤&黒のチェックのネルシャツ)を着ている。
昨年は時間の関係でやけに短い演奏時間だったのだが、今年は比較的ゆっくり聞くことができた。進行を気遣ってか、セッティングが完全に終わる前に「解放歌」をほとんど中川ひとりではじめてしまったのだが、その後はだいたい普段どおりの曲目。
「きょうはこの曲、よう聞いたねえ」(中川)という前置きで、「アリラン」が演奏された。その前に We are One の感動的な合唱とさらに喜納の「アリラン」を聞いたのだが、ほんとうにそれぞれどれも違う「アリラン」だった。あえて比べると、いつもはしんみりしてしまうモノノケの「アリラン」は、この日は軽快に聞こえた。

トリは朴保バンド。そして、フィナーレはほぼ全員が登場しての「密陽アリラン」「ハーダー・ゼイ・カム」「ペンノレ(舟歌)」のセッション。東京では「イマジン」が演奏されたが中川・ヒデ坊がなぜか退場してしまったといううわさなのだが、そのせいか(?)この日は退場時のBGM的にインストゥルメンタルで演奏されただけだった。
フィナーレでは We are One のフォルクローレ兄弟(?)がなぜかビデオ録画に熱心だったのが微笑ましかった。そしてこの人達、さらになぜかヒデ坊をやけに気に入ったらしく、一緒に歌えといったり歌いながら写真撮ったり(あのー、演奏中なんですけど・・・)していたことも記しておこう。

パンフレットに中川のインタビューが載っていて、「ワンコリアも自分問題、『日本問題』なんや」という発言が(再び)あった。つまり「朝鮮問題」「アイヌ問題」「なんとか問題」ではなく、問題があるのは自分、日本、ということ。「自分のほうが主体やということが分かってから、初めて相手のことを考えるという順序がある」(中川)ということ。
他人事ではなく自分事だから関わる、というのでなければ偽善か、せいぜい薄っぺらなものになってしまうのだと、ぼくは思う。

最後に同じインタビューから引用したい。

俺は最終的には国家とか血縁的な意味での民族とか信じてなくて、文化圏という言い方がすごく好きなんです。それぞれが持っている歌とか、「おまえの村の踊りを見せてくれや」みたいな関係性が、最後のアイデンティティというか。[...] 最後は『自分文化圏』みたいなところに行きたい

1997.10.16 中山貴弘

魂花レビュー