971223 At Kobe City Hall 97.12.23 "地震"年越しまつり (神戸市役所前広場)*

天気予報通り昼から急に天気が崩れ、さらに木枯らしのような風が吹く中で出てきたメンバーは、中川+伊丹+内海+奥野+河村。ゲストこぐれみわさん、コースケさん、趙博さん。洋子が、前に太郎がとても重そうにかかえていた大きい方のチンドンを持っていたが、大丈夫なのだろうか(平然としているようにも見えたが)。

ヒデ坊が「めちゃ寒いー」という声をあげ中川は「手がかじかむわ」とこぼす。しかし、演奏はオープニングから絶好調。「解放歌」から「聞け万国の」「デモクラシー節」と政治的な歌が続く。中川のいつになくおどけたしぐさも(というか最近ずっとそうか)好調のしるしだろう。演奏は明るく力強い。

他に「アリラン」、モノノケの前に出番があったエイサーの人達がステージ前で舞い、楽しいセッションとなった「安里屋ユンタ」、「ソウル・フラワー・ユニオンというすばらしいロックバンドの曲」をコピーした「満月の夕」など、いつもの曲が続く。「インターナショナル」で突然終わってしまい(当然その後「さよなら港」と思っていたのだが)、アンコールの時間的余裕もなく、短い演奏時間だったが、ぼくは今年これまでの一番のライブにあげたい。

ソウルフラワーの出番を待つ間、被災者のアピールを聞いた。市職員が仮設にやってきて、約2時間の話し合い、向こうが言ったことはただ「とにかく仮設から出て行ってくれ」ということだけだった、という訴え。ちょうど神戸の年末恒例となった、街のイルミネーション「ルミナリエ」がはじまった時期で、三宮は大変な賑わいなのだが。
しかしアピールにも「家を持てない人間があのルミナリエを美しいとは決して思わない」とあった。当然である。神戸市がそこへ落す莫大な費用の意味は何か。繁華街が一時賑わい、「復興神戸」のイメージをつくるというだけの貢献ではないのか。

客席に署名運動がまわってきた。避難所の被災者が生活保護が受けられるようにしようと運動した市職員が配置転換された事件の、撤回要求についてのものである。他にも保健所で動物実験に動物をまわしていた疑いが市民から出された事件で、その運動に関わっていた保健所職員がやはり全くキャリアと違う職場へ飛ばされたという。何を隠すつもりだ?

「震災はまだ終わっていない」というのは、こういうことではないのか。それは「戦争はまだ終わっていない」ということと同じではないか。きたない物、しんどい事は弱者におしつけ、それを裏舞台におしこみ、ポートピアとかルミナリエだとかファッション都市だとかいうフレーズで化粧するのが神戸市政、そして日本の典型的な政治なのだと改めて確認した。いいかげんだまされるのはやめよう。

1997.12.27 中山貴弘

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