97.12.29 At Seibu Kodo 97.12.29 ONE NIGHT LEGEND 〜一夜伝説〜RANKO 追悼コンサート(京大西部講堂)

スペルマのボーカル、コンチネンタル・キッズのベース、爛子 Ranko さんの追悼コンサート。生前の Ranko さんが大ファンだったというカルメン・マキ & OZ が、なんと25年ぶりに一夜限りの再結成をするという記念的なコンサートでもあり、会場はマキを見に集まったオールド・ファンで始まる前から熱気ムンムン(死語か)だ。

ドラムセットの後には巨大なスクリーンに、歌う Ranko さんの白黒のポートレイトがかかっている。予告通りボーカルに洋子が登場。うわさでは全裸で歌うということだったのだが、さすがにそれはなくて、耳としっぽのついた豹のぬいぐるみみたいな衣装を着ていた。台本のように歌詞カードを掲げ、片手を腰に当てて演説みたいなスタイルでうたう、とぼけた洋子。洋子のボーカルは一曲だけで、あとは別の女性ボーカリストにチェンジした。

続くユニオンは、年末ソウルフラワー祭からフィドルを抜いただけの同じメンバーで登場。そして「向い風」→「外交不能症」という異例のオープニング。終わった後、中川「はぁ、なんか疲れたな」ヒデ坊「やっぱりちょっと無理があったんとちゃうか」。ワンマンライブだったら客が暴発したかもしれないが、場所柄と客の違いか。
音響的にはいいとは言い難いが、西部講堂でみるユニオンがぼくは好きだ。リラックスして演奏できていると思う。メインアクトではないし時間的な制約でややもの足りなさは残ったが、カルメン・マキ目当てで最前列に陣取っている人達にもウケているみたいだった。でも一言、その人達が「MCないのか?」といっていたのが、やっぱりなーと思った。
ソウルフラワーのステージというのは、やりたいことをやって、しゃべりたいことをしゃべって、中川が次の準備をしていたらMCは(誰かがでてこないかぎり)まあないし、ショウとしての完成をめざしたバンドと比べたらある種アマチュア的(商業的でない)感じがするのだろう。

OZ の出番になると信じられないくらい客席のテンションが高くなった。そんなに人気があったのかと驚く。ヒデ坊がMCとして登場し、京都でここ一年親友だった Ranko さんと一緒にマキの京都ライブの後打ち上げで飲んだこと、それが縁で東京ビビンパなどソウルフラワーとつきあいの深い春日博文(OZ のギター)を通して追悼ライブの話を持ちかけたという話をした。
そして登場したマキのなんと神々しいこと。OZ のファーストアルバムの一曲目「六月の風」が始まった。しずかなピアノのイントロから爆音のように展開するところでは、ひさしぶりにロックコンサートで打ちのめされる大音量だった。なんでもゲストのキーボードとして参加した VOW WOW の厚見麗は音が大きいので有名なのだとか。しかしベースもドラムも、そして超パワフルなボーカルも、何もかも音が大きい。そしてうまい。音量で、老朽化した西部講堂の梁から時々ほこりが舞い降りてきた。
他のメンバーがむかし通りなのに対して、春日だけは違う展開をしているように見えた。「ロンドンブーツをはいて、老体にむちうってギター弾く」(ひどいなあ)と東京のユニオンのライブでヒデ坊が言っていたが、そういう雰囲気ではなくいつも通りの、いまの自然な春日だった。ちなみにブーツではなく白い綿パンに白いスニーカー。

客の熱狂振りはすごい。意外に若い人も多く、そして曲をよく知っているのにも驚いた。Ranko さんのファンはもちろん来ているようだが、それだけではないようだった。
ぼくがカルメン・マキを聞くようになったのはごく最近で、デビューアルバム「真夜中詩集」が寺山修司の作詞によるものだったからだ。寺山の「時には母のない子のように」の大ヒットの後、そのつくられたイメージから逃れるように日本の女性ハードロック歌手のはしりになっていった。いまのカルメン・マキは再び「時には母のない子のように」をレコーディングしたり、より自然体になっているようだが、この夜はまた「ハードロック・シンガー」としてひさびさに復活した。

ほんとうに「一夜伝説」。オールドファンがMCのヒデ坊に「ありがとう」などと声をかけていたが、ぼくもヒデ坊と西部講堂に感謝したい。

1998.1.29 中山貴弘

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