Soul-cialist Escape at Umeda Heat Beat 98.02.27 ソウルシャリスト・エスケイプ(梅田ヒートビート)

ソウルシャリスト・エスケイプ、通称「しゃりすけ」の初ライブツアーである。デルタ・ブルースのようなSEに続いてメンバーがステージに登場した。サム・べネットの短いリードボーカル曲に続いて中川が「日食の街」をうたいはじめると、ぼくはいつものユニオンのライブの時みたいにすっかり感激してしまった。しかし何曲か続く内に、「やはりこれはユニオンとは違うぞ」ということがはっきりしてきた。

メンバーは:

そして、福岡でのライブがお囃子がなくてさびしかった、とかいうことで急遽伊丹英子(お囃子、チャンゴ)が「潮の道」と「満月の夕」に出演した。
そのヒデ坊、まわりを見回して開口一番「ミュージシャン歴200年みたいな人ばっかりやな」。サムはニューヨークの実験的ジャズのレーベル「ニッティング・ファクトリー」からレコードを出している。太田氏も佐野氏も、同じく「ニッティング・ファクトリー」からレコードを出している梅津和時さん(ソウルフラワーに多大に貢献しているサックスプレーヤー)のバンドに参加している。千野氏は大熊参加の A-Musik の他、最近「サウンド・インスタレーション」というような現代音楽の分野でも活動中の人。
ロックのフィールドでずっと演奏を続けてきた中川(及びベースのばるぼら・きよし)が、大熊も含めてとにかくフリーなことをやってきた人達の中でどういうまとまりとぶつかりあいを見せられるか、というのが今回のツアーの大きなポイントだったのではないだろうか。

中川自身が「もっとずぶずぶなんはこれから」(ロッキング・オンJAPAN. 98.3)と言っているように「中川ソロ」としての印象が強く出てしまったアルバム「ロスト・ホームランド」とは対照的に、この日のライブは「ソウルシャリスト・エスケイプ」というバンドのライブだった。ただ、MCで「バンドが出来ていく過程が見られる」とあった通りの演奏だった。つまり「中川・大熊ユニット」的だったのだ。

集まったミュージシャンがあまりに強者ぞろいで、「スーパーセッション」的な雰囲気もあった。
ユニオンの「夕立ちとかくれんぼ」を含む中川の曲、サムによる実験的な曲、大熊(シカラムータ)のクレズマー風や民謡風の曲と、曲目がメンバーたちの持ち寄りだったこともユニット的だった。
さらにボーカリストが、中川はいうまでもなく、誰も彼も個性が強すぎるくらい強い。 パーカスを叩きまくりながらしまいにはハンドマイクまで持ち出してうたうサムは、ボーカルまで打楽器的だ。 コーラスになるとマイクスタンドをつかんで「おれがリードボーカル」といった表情で歌う太田さんが、「ハナモゲラ語」風に(と思いきや実はトルコ語かも、という話もある)うたうリード・ボーカル曲「太田のトルコ」は捧腹絶倒だった。

それら、別々にソロのステージができる人と曲を、ひとつのステージに並べるのはかなりの力業だったと思う。ばらばらになる寸前で、奇妙な渾然一体をつくって見せた。サム・べネットの曲に三線をあわせたり、大熊の曲でややフリーな感じのリード・プレイをする中川の姿を見ていて、「あくまでバンドをつくるのだ」という強い意志は感じた。

その中で、ぼくは自分がなんでソウル・フラワー・ユニオンが好きなのか、ということがよくわかった。最初に、出てきた中川に感激したと書いたが、ステージがすすむにつれてその感覚は薄れていき、しかしヒデ坊が出てくると増幅した。多分うしろに奥野がいたらまた倍増、でしょう。「やっぱりバンドってステージに立つ人達のオーラなんだなあ」とかあたり前のことを思った。
いまの段階でしゃりすけには、バンドとしてのオーラよりユニットとしてのぶつかりあいを感じた。ユニットではなくあくまでバンドになるかどうかは、今後の活動が決めることだと思う。そして、バンドになるならば、ユニオンを完全に忘れさせてしまうような強烈な魅力を持つバンドになってほしいな、と思う。

中川がアコースティック・ギターを持ってうたう「おやすみ」「短距離」で本編を締めくくった後、サムの曲が中心のアンコールが(確か最後は「ロンドン・デリー」だったが)終わると、客電がついた。客席では「なんかアンコールがものたりない」とかいう声も聞こえた。しかし、ほとんどの客が背を向けた頃合をみはかるように、ステージに再び中川が登場していた。そして「みんなで一所懸命コピーしました。外交不能性節!!」と「外交不能性」が演奏される。ライブの最後はどうしても押し合いになってほしいのね。中川がサービス精神旺盛なのは、心の底からよくわかった。

1998.3.1 中山貴弘

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