98.08.22 Jizobon, Nagata, Kobe 98.08.22 追善供養盆踊 (神戸市長田区)*

前に書いたことと重複になるけれど地蔵盆について説明すると、地蔵は子供の守り神(? 菩薩なので、守り仏?)とされていて、子供のための祭りである。震災の影響でかなり減ったけれどまだまだあちこちにある地蔵のお供え物のお菓子を、線香をあげにきた子供たちに配る。
同時に「盆踊り」であるから元来「追善供養」すなわち死んだ人の冥福を祈る祭りだ。この場合やはり「震災で死んだ人」というのがポイントだと思う。
さらに「供養」であるから食べ物や飲み物が無料で配られる。高いステージにとどくほど、20だか30だか積まれた缶ビールの箱には驚かされた。
このあたりではお盆の帰省を地蔵盆にする人も多い。以前はオールナイトで踊ったりうたったりしてたらしいが、今でも深夜まで行われる。一年でもっとも重要なイベントである。

ソウルフラワーの番町地区での地蔵盆出演は四年目になるという。ぼくは96年から見ている。もともと盆踊りをやっていた四番町の市住が震災であちこち壊れた(神戸市の手抜き工事が発覚した)のだが、それが建て替えられて、昨年一昨年とバス道をはさんで向かい側の五番町で行われていたのが本来の場所に戻った格好だ。
薄暗い空き地で狂乱のステージ(というか客席)をくりひろげた96年にはまだソウルフラワーの追っかけファンはあまり目立たなかった。
その空き地に市住が建った昨年は遠くからのファンやマスコミも大勢集まり、ちょっとしたイベントになった。最後に「アリラン」の後奏でチャンゴを持ったヒデ坊が客席に降りてきた光景は今も目に焼きついている。
今年はどんなステージになるだろうかと大きな期待を持って会場へ向かった。その期待は裏切られなかった。

8時になると六弦の三線(?)を持った平安隆が「安里屋ゆんた」をはじめる。バックは河村のアコギ、趙博のチャンゴなど。長田は「つづら折り」以来という平安さんは、ウチナー口「満月の夕」を含む、短いけれども濃いステージを見せてくれた。最後の「唐船どーい」でなぜかPAが落ちて音が全然出なくなるアクシデントにもかかわらず、客席は手拍子や踊りで盛り上がり続けた。

モノノケ・サミット。地域の人達は、恒例になったモノノケの登場を心から楽しみにしているように思う。そして、おっちゃん・おばちゃん達は、若者と遊ぶのが好きだ。ソウルフラワーという若者兼プロミュージシャンが自分達の街に来るという喜びに、昨年来よその若いモンがえらく大勢集まって一緒に遊べるという楽しみが加わったんじゃないだろうか?
ぼくもしきりに「踊れ」と言われたり、「もっと前行って踊れ」とつつかれたり、となりのおっちゃんに「炭鉱節」の振り付けを教えてもらったりした。

客席はステージを凌駕するおもろさかもしれない。昨年フライパン踊りで有名になった(?)おばちゃん、今年は日本髪のカツラにものすごい化粧で(しかし日本手ぬぐいで顔を隠して)登場し、ステージにも上がって中川の隣で踊りを披露した。もうひとり、透明ビニールの天狗のお面みたいのをかぶった、なんとも言えん格好の人がこのおばちゃんと一緒に踊っていた。

地蔵盆のライブは2ステージ、約2時間あるので、出演者の多いイベントではなかなか聴けない曲が演奏されるのも魅力だ。なぜか昨年演奏されなかった「トラジ」を久しぶりに聞いた。この地区であまりに朝鮮民謡のリクエストが多いので覚えたという「トラジ」はめったにやらないので「(演奏が)ちょっと危なっかしいね」と中川。その中川は「そういう時は手拍子とかで盛り上げてね」なんてユニオンのライブではとても想像できないようなMCをする。バンドと観客が信頼しあっている場所だから飛び出した発言と思う。
この地区での彼らの演奏はリラックスして楽しい。そして結果、ライブの質が高い。

第一部終了後、カラオケやブレイクダンス(なんだったんだろう、あれは)をはさんでの第二部は始まりが遅く、11時半近くなってライブは終了した。「さよなら港」では紙テープがたくさん投げ込まれ、いかにも別れを惜しむ風情だった。「朝までやれー!」というヤジも飛ぶが、中川「この後うたいたい人がいっぱいおるねん」。地蔵盆はこのあと付近住民による大カラオケ大会に突入するのである。
まさに「皆さんが主役」の祭りを盛り上げてくれるソウルフラワーに、番町地区の元住民として感謝。来年は8月23日に決定だそう。待ってます。

1998.8.24 中山貴弘

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