しんげんち祭り 99.06.06 しんげんち祭り*

私事だが、母に復興住宅があたった。震災からもう4年、えらく長かったが一応希望通り神戸市内に部屋が借りられることになり、母にとっての震災はひと区切りついたといってよいだろうか。引っ越したばかりの部屋を見せてもらったが、あちこちに手すりがついていたり電気やガスの操作が簡単に作られていたり、高齢者向けに考えられている住宅のようだった。そしてエレベーターホールには、しんげんち祭りの告知ポスター。団地のすぐ近くが会場で、母にもCDではおなじみのモノノケをやっと実際に見てもらうことができた。

パンクバンドや舞踏グループにつづいて出演した昨年とはうってかわり、モノノケは叩き売りと須磨琴に続いての登場。中川、天気を気にして、テントで囲まれたステージから空をのぞいたりしている。「俺ら、雨男やからね」。実際、昨年は見事などしゃ降り、今年はわりといい天気だったのだが急に雲行きあやしげになってきた。

曲目は「美しき天然」から「さよなら港」まで、いつものレパートリー。「お富さん」を演奏するときに「うたうと気分よくなる。おれが書いておけばよかった」と中川。終わってからも、「ほんまにええ曲やね。国歌なんかいらんと思うけど、どうしてもいるんやったらこの曲か「六甲おろし」にするといい」など、よほどお気に入りの曲らしい。ついでだが、最近いつもマイクチェックのときには「六甲おろし」を歌っている。阪神が快進撃で機嫌がいいマ。

ヒデ坊のMCが心に残った。「震災にもええ面があって、ひとつは新しいコミュニティーができたこと、もうひとつは古いコミュニティーのよさを見直せたこと」。この仮設村「しんげんち」はもう解消が決まり、住人は近くの住宅に移るらしい。中川「引っ越した先でも祭りをやるらしいけど、その時はぜひ呼んで下さいね」。これは新しくできたコミュニティーの例。もうひとつ、これは古いコミュニティーの例といえるだろうか、ぼくたちが会場についてすぐ、母は知り合いに声をかけられていた。震災前近くに住んでいたけどあまりつきあいのなかった人らしくて、このたびやはり近くの団地に入ったらしい。母にしてもその人にしても、以前見知った人と別の場所でまたご近所になったのは何かと心強いに違いない。

ライブが終わって帰途につくとき、母とその知人が話しながら歩いていると、見知らぬおばさんが後ろから「あの人達、いつもあの曲(さよなら港)で終わるんですよ」と声をかけてきたそうだ。「お互い震災に遭ったというだけで、連帯感みたいなものがあるんやな」とか母は言っていた。何も説明しなくても前提を共有しているから、ということだろうか。実際にはそれぞれの事情があったりもするわけだが、震災前にこうした人づきあいはあまりなかった気がする。こうした出会いの場をつくることで、ヒデ坊のいう「接着剤」としてのモノノケサミットは立派に機能し続けている。

1999.6.11 中山貴弘

魂花レビュー