アジールに鳴り響く魂の音楽

アジールとは何か:一種の聖域である。

「排除・支配と自由を巡る権力関係(中略)に於いて、そこに触れたり飛び込めば外の勝負・戦闘とは関係なくなって安全になり、或いは活力を回復できるような場所」(CD『アジール・チンドン』のライナーノート、大熊亘による解説文。注1)
鬼ごっこでそこに逃げ込めば鬼から逃れられる「安全地帯」が(名称は様々だが)あった。それがひとつのアジールの定義である。ここで大切なのは、「安全」の他にもう一つの原理「活力を回復できる」ことではないかと思う。
とりあえずこれでイメージが捉えられただろうか。

「アジール」という言葉はソウルフラワーユニオンによって、『アジール・チンドン』『エレクトロ・アジール・バップ』(どちらもアルバムタイトル)、「闇鍋アジールジャミング」(ライブのタイトル)、「奥野真哉のロッキン・アジール・ジャミング」(ラジオ番組のタイトル)のようにキーワード的に用いられていながら、あまり説明されなかった言葉であるように思う。
ドイツ語でAsylという単語は「避難所」のことである(注2)。たまたま震災当時ドイツ語を勉強していたぼくは『アジール・チンドン』というアルバムタイトルを見て、ああ、避難所のことか、震災の後避難所や仮設住宅で出前ライブをしてきたひとつの結果であるアルバムのタイトルにはぴったりだ、と単純に思っていた。「アジる」(アジテーションを行う、煽動する)ともかけているのだろうか、と思っていた。

しかしその後同アルバムのジャケットに使われている三里塚の少年行動隊(成田空港建設反対運動の頃の話です)の写真について、中川敬が、「[自分は]この少年達と同世代で、これが自分達の世代のアジールであり、音楽が運動に関わることのできた最後のアジールではなかったかと思う」(NO GURU 4, p. 21. 伊達政保が自身によるアルバムレビュー(ミュージックマガジン96.2)に加筆した部分)という発言をしているのを読んでよくわからなくなった。それでいくつかの文献をあたってみた。

「元来それは、避難所といった意味を持つ言葉である。それは犯罪者や債務者が、自己の責任を逃れることができる場所といった意味である。そのような平和の領域としてアジールは、一種の聖域として理解されていたと言ってよい」(奥井智之『アジールとしての東京』弘文堂1996. p. 10)
そして、冒頭にあげた大熊氏による解説の最後に挙げられている『無縁・公界・楽』には「『無縁』の原理」という概念が繰り返し述べられている。「無縁」は、「アジール」にあたる日本語であるとみていいだろう。同書では「無縁」の原理として例えば「縁切寺」が紹介されている。
「離婚をのぞむ女性が、門内に草履でも櫛でも、、身につけたものを投げ入れたとたん、追手はその女性に手をかけることもできなくなる」(網野義彦『無縁・公界・楽』平凡社1987増補版p. 20-21)
しかしそれだけではまだ「逃げ込む」という負のイメージの方が強い。同書は「無縁」という概念によってこうした現象をプラスのイメージで捉えることをうながしているように思う。 そしてソウルフラワーユニオンの活動は音楽によって新たにアジールを、もちろんプラスの力を持ったアジールを創り出そうとする試みなのだと、とりわけ震災以後明確に意識的にそれを指向しているのだとぼくは思う。 ライブハウスという現代のアジールが、同じような年代のものたちがみんなで一緒に盛り上がることを前提として集まるお約束の場になってしまっている、ということがもうずいぶん前から言われている。「都会のライブハウスやホールでロック好きの若者だけを相手にする『箱庭的な環境』に息苦しさを感じていた」(朝日新聞夕刊 1996.1.19)というソウルフラワーが新しいアジールを創り出す拠点としては震災の避難所もまさにぴったりの場所であったのだ。
「小学校の体育館その他の空間が被災者たちにとって、一つのアジールであったことは間違いない。それが(中略)避難所であったか収容所であったかは別にしても」(奥井前掲書 p. 211)
アジールには負のイメージとして、避難している、隔離あるいは迫害されている、という面もある。もともと中央から離れたような位置で活動していたソウルフラワーの、被災地での活動が東京のマスメディアから必ずしも好意的に見られなかったのは、中央から見て震災にそうしたイメージが目立ったからなのだと思う。
しかし「文学・芸能・美術・宗教等々、人の魂をゆるがす文化は、みな、この『無縁』の場に生れ、『無縁』の人々によって担われているといってもよかろう」(網野1987. p. 263)。
モノノケサミットの活動は震災の避難所(=Asyl)から始まって沖縄・コリアへの連帯(琉球フェスティバルやワンコリアフェスティバルなどへの出演、ピースボートでの北朝鮮ツアー)という形で彼らのアジールを広げていった。『アジール・チンドン』はそうしたアジールになりひびくチンドン楽隊の音楽だったのだ。想像してみて欲しい。三線を抱えた黒髪の河童とチャンゴを担いだ赤髪のキジムナーを先頭に行進するもののけ達のチンドン楽団を。彼らの歩いた軌跡はアジールと化していく。そして彼らはいつのまにか楽器を持ち変えている。

ソウルフラワーユニオンのニューアルバムはタイトルが『エレクトロ・アジール・バップ』。モノノケサミットでの体験がより豊かな「魂の花の連合」を産むさまが見られるだろう。

  1. この文自体が網野1987, p. 15の要約となっている。
  2. ところがこれに語源を持つと思われる英語の asylum は、今では避難所という意味よりは精神病院や犯罪者の収容所というような意味が強いらしい。阪神大震災の記事を英語に翻訳したとき和英辞書を引いて asylum という単語を使ったところ、アメリカ人から、そのことばはこの場合違うだろう、と言われて初めて知ったのだが。
    因みに奥野真哉のラジオ番組のリスナーは「アジラー」というのだそうだが、「避難民」そのようなことばは辞書には載っていない(笑)

参考

  1. 奥井智之『アジールとしての東京』弘文堂1996
  2. 網野義彦『無縁・公界・楽』増補版. 平凡社1987

96.10.6 中山貴弘

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