魂の花咲く

ジョン・ポッター神戸にハッピーなロックの変種を発見する

[SFU in Nagata. Pic. by J. Potter. JPG, 23KB]

神戸の長田神社で行われた阪神大震災の1周年記念コンサート(*注1)に日本のロックバンド、ソウルフラワーユニオンが登場したとき、ステージにエレキギターは見当たらなかった。そのかわりに沖縄の三線、アコーディオン、クラリネット、それにエキセントリックな打楽器の数々。西洋のロック音楽とはかけ離れた印象のものだった。これはチンドンと呼ばれる、ストリート音楽の形式であった。チンドンは普通、キモノを着て化粧をしたチンドン屋と呼ばれる人々によって演奏され、かつての日本では音楽つきの広告としてよく見られた光景であった。

チンドンは今ではソウルフラワーのレパートリーの中で重要な位置を占め、先頃ソウルフラワー・モノノケサミットという別名義でこのハッピーなロック変種のフルアルバムをリリースするに至った。彼らの所属するメジャーレーベルが発表を拒否したため、このアルバムは、新しいインディレーベルリスペクトからリリースされた。日本と中国の伝統音楽、アイヌ民謡、アメリカの行進曲など、多くにはリードボーカルの中川敬による辛辣な政治的歌詞がつけ加えられて、全てがチンドンスタイルで演奏されている。

「自分達が西洋のバンドの貧しいイミテーションでしかなかったことに突然ぼくらみんな気づいたんです」
と中川は説明する。
「ぼくは曲を書いて歌い、プロデュースもしているので、自分達が変わらなきゃいけないと気づいた最初のひとりでした。ぼくらがやっていたロックは英語にあったリズムのものだったのに、それに日本語をあわせようとしていました。そういうのはよくないですね。他人のものを盗んでるようなものです。それからぼくはアイヌや沖縄、アメリカ先住民、コリアン達の文化について知るようになりました。ぼく達自身の日本の文化にもっとかかわらないといけないと気づき始めたんです」

本当の天啓が降りたのは、沖縄音楽のアルバムにアイヌについて歌った曲があることを知ったときだった。

「喜納昌吉とチャンプルーズのアルバムで『アイヌ・プリ』を聴いて、沖縄のアーティストがアイヌについて歌っていることに驚きました。のち1992年にケーブルテレビから、チャンプルーズと共演するように依頼があったんです。それで喜納さんに会い、一緒に演奏し、大和民族もこういうことを歌わないといけないと決心したんです」

こうしてソウルフラワーユニオンの音楽に三線が導入された。また別の沖縄のアーティスト、大工哲弘が次の引きがねになった。

「大工哲弘の『ウチナージンタ』がまた驚きでした。沖縄のミュージシャンが日本の古い曲を歌い、自分自身の音楽とチンドンを融合させているんです。ぼくらが今やっているチンドンはもちろん大工さんに影響されたものです。ぼくは彼が本当に世界最高の歌手のひとりだと思います。けどもっと重要だったのは、震災後ぼくらが出会った神戸の普通の人たちが、年寄りも子供たちも、ぼくらの実験をとても楽しんで、それを励ましてくれたことです」

昨年の地震以来、ソウルフラワーユニオンは本拠地である京都から神戸へ旅を続けてきた。被災した人々のために演奏し、多数の仮設住宅を訪れて人々と会った。長田での終日コンサートはたいへんな盛況で、彼らの試みの頂点となった。このコンサートにはたくさんの歌手や演奏家、踊り手たちが参加した。しかし中川は自分の目標について謙虚である。

「地震の後初めて神戸に行ったときは少し傲慢に、人々を助けられる、或いは助けるべきだと、それが簡単にできるだろうと思ってたんです。けど状況は想像してたよりずっとひどかった。ぼくがしたことが適切な社会的活動だったとは誰もいえないでしょう。ぼくはただ歌うことで人々を元気づけようと決めただけで、そのことはぼく自身やっていて面白かった。ぼくらは半時間ほどいい雰囲気をつくろうとした。けど、ぼくにとって1995年は音楽を通して何かが変えられると気づいた年だったと思うんです。戦争や平和について叫ぶ必要はないんだ。ぼくらはただ歌を歌って聴衆はそれを楽しむ。彼らは後でそのことを思い出してぼく達のやってたことに興味を持つかもしれないしね」

ソウルフラワーユニオンは1988年(*注2)に、自らをガレージバンドと呼ぶ女性二人のメスカリン・ドライブと、中川を含む男性3人のニューエスト・モデルという二つのバンドがが合併して結成されたパンクバンドである。

「音楽的な指向が全く同じだったって訳ではなかったんだけど、一緒にうまくやっていけたし、ユーモアのセンスも似てたんです」

中川はこうした変化や続くチンドンへの進出によっていくらかのファンを失ったことを認める。

「何か違うことをしようとするたびにファンが反対するんです。離れていく人もいるし、新しいファンもできる。実際ひょっとしたら前よりファンが減ったかも。パンクを裏切ったっていうんでね。何か新しいことをしようとすればいつでもこういうことはおきる。けどぼくは気にしません。こういう状況を楽しんでます」

しかしKi/oon Sonyはこの状況を楽しんではいないようである。音楽的な内容のゆえにではなく、歌詞の一部に過敏に反応し、このチンドンアルバムの発表を断った。中川は常に強い政治的見解を持っており、イギリスの政治的シンガーソングライター、ビリー・ブラッグの運動を支持した日本最初のミュージシャンの一人であった。ブラッグ自身による左翼的な歌詞がイギリスにおいては見たところ検閲なしに受け入れられているのに対して、ソウルフラワーのアルバムはKi/oon Sonyによってなんともなさけない理由で性急に握りつぶされてしまった。

「ほんと、ばかな話なんです」
と中川は不服そうだ。
「『復興節』の中の「ナガタ」と「コリア」という言葉がよくないっていうんです。レコード会社はこの歌が日本に住むコリアンが貧しいという悪いイメージを与えかねないというんです。90年代にそんなこという人がいるなんて信じられません」

チンドンの影響にも関わらずソウルフラワーユニオンはロック音楽を全く捨ててしまったわけではなく、以前通りスタンダードなロック編成による演奏をも続けている。彼らのセカンドアルバム『ワタツミ・ヤマツミ』ではハードなロックサウンドを演奏しながらも、ここにも他からの影響がひそんでいる。またいくつかの曲にはイギリスのフォークロックのにおいが感じられる。

「イギリスのフォークみたいな曲もあると思います」
と中川は認める。
「ぼくはフェアポート・コンベンションとかスティーライ・スパンとか好きなので、知らず知らず影響を受けているということはあるでしょうね。けど同じものを中央アメリカの音楽に似ているという人もいるんです。ぼくは良いエスニック音楽はみんなどこか似たところがあると思っています。実際ぼくはこれらの曲を書いたとき中央アメリカというより日本の古い歌に似てるなと感じたんです。ということは人によって同じものを違った風に聞くことができるということでしょう」

注)

  1. 96年1月21日、長田つづら折りの宴
  2. 原文のまま

Original Text 'Souf Flower blossoms' written by John Potter in English
Kansai Time Out, Mar. 1996, p. 24.

Translation by NAKAYAMA Takahiro


訳出を快諾下さった著者のジョン・ポッターさん、ありがとうございました。
なお、この文章はポッター氏が中川氏への「長田つづら折りの宴」当日のインタビュー(ポッター氏は英語で質問、中川氏は日本語で回答)をもとに英文で執筆し、それをさらに訳者が日本語に逐語訳したものです。 もとのインタビューからは二重にニュアンスが異なったものになっていることをご承知ください。(中山貴弘)

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