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まるで女だね/中山ラビとの出会い

ライブハウスでの出会い

 2度目にラビを見たのはその年の秋になる.10月と11月に続けて 西荻のロフトで間近に見ることが出来た.当時新しいライブハウス が出来始めていた時期で,その中で最も早い1つであった西荻ロフ トは,スペースとして非常に小さかった.10月に行った時は客は10人 足らずで,店の関係者の方が多いという状態だった.いわゆる情報 誌がほとんどない時だったし,何よりもそんな場があるというのが知 られていなかった時代で,客の入りは常によくなかったようだ.ラビ はそんな西荻ロフトの初期からの出演者というわけだった.ジャンジ ャンにも出演していたはずだけど,僕がジャンジャンに行き出したの はずっと後のことになる.

 当時西荻には友人がいて,彼が「こんな店が出来たよ」と教えてく れ,出演者の中に中山ラビとあがっていた日に,すでに一度行った ことのある別の友人に頼んで連れていってもらったのである.そんな 少人数の場で見たりするのは初めてのことで,例えば「私が望むの は」を歌った後に僕が強く拍手したら,ラビが「どうも熱心な拍手を有 り難う」とか言ってくれたりして,非常に緊張してしまった.過度の緊 張の中で聴いていたので,うたがぐさっと入ってくるというわけではな かったけれど,やはり印象に残りそれを機会にラビがロフトに出る たびに通いだしたのである.

 2度目は1人きりで見たけれども,客は前よりも多かった(と言って も20人位)せいもあり,それほど緊張せずに聞けた.もっともその時 はラビは風邪をひいていて余り元気がなく,時間も短めだったが・・ ・・ そして次の年74年の2月,5月と見るに至って次第にラビにのめ り込み始めたのである.

記念すべきライブ

 西荻ロフトでの74年2月のライブでは,12弦ギターのバックも一部 付いていて,初めて「子どもにはこう言ってやんな」をきいた.一緒に 行った友人の評によれば「ラビの目がうるんでいた」そうで,しっとり した感じで良かったことを覚えている.客もかなり増えていた.  そして5月は僕を決定的にラビにのめり込ませる機会となった記 念すべきライブで,それまでラビに引きつけられても,何となく奥歯 に物がはさまった感じで,戸惑いがあったのがスッと取れて,ラビの 全てが入ってくるようになった.

 その頃のライブで,必ずと言っていいほどラビが歌っていた唄の中 に「こえられない」と「チューリップ(正式名不明)」がある.最近は決 して歌わないし,ついにレコードにならなかったり(「チューリップ」)不 完全な形でしか残っていない(「こえられない」)曲なんだけど,その 頃のラビを象徴していたような代表作であった.一言で言うと両方と もすこぶる重いうたで,それまで聞いて惹かれつつももう一歩入って いけないでいたのが(それは結局ラビのうた全体に関してそうだった わけだけど),その時には恐ろしいほど僕の中に入り込んできたの だった.

 その頃は2枚目のレコードを制作している時期で,一つには意識 的に歌い方を変えようとしていたため,上記2曲もそれまでは全てめ いっぱい頑張るという歌い方だったのが,全体的には抑えてなめら かに歌うようになり,それがかえって声を出す所では恐ろしいくらい によく出るという好循環につながり,聞き手に上手く伝わるようにな ったということかもしれない.ともあれそうした重いうたが完全に中に 入った僕は,それまですでに気に入っていた他のうたもより素晴らし く感じられるようになったのである. 続く

(1980.9)@T.K.生 HGD03700@nifty.ne.jp


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