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ソウルフラワー簡単年表 ... 歴史 history は物語 story である
ニューエスト・モデル | メスカリン・ドライヴ | |
1984 | 中川敬はバイトしていた大阪のロック喫茶で伊丹英子や河村博司と知り合っていたもよう。 | 結成。学祭のステージでうたう内海洋子を伊丹が見初め、強引にゲットしたという。最初はギター2人の5人編成。 |
1985 | 結成。中川、BEN、高木基弘(ベース)というメンバー。 | 京都磔磔などでライブ活動。 |
1986 |
2月、デモテープを作る。バンド名は「THE NEWEST MODEL」。 8月、ソノシート「オモチャの兵隊」。 10月、奥野真哉が加入。 |
1月、デモテープを作る。
3月、大阪エッグプラントでニューエストと対バン。 |
1987 | 4曲入りEP「STANDING ON THE NEW FOUNDATION」。 | 3曲入りソノシート「MESCALINE DRIVE [OH! BOY]」。 |
1988 |
1月、ファーストLP(6曲)「SENSELESS CHATTER SENSELESS FISTS」。 4月、鈴木友之(ベース)が加入。 9月、「ソウル・フラワー・レーベル」設立第1弾として、セカンドLP(10曲)「PRETTY RADIATION」。 |
7月、ファーストLP(7曲)「DEEP MORNING GLOW」。
11月、高木太郎(ドラム)、永野かおり(ベース)が加入。 |
1989 |
6月、キングレコードよりCDシングル「ソウル・サバイバーの逆襲」でメジャーデビュー。 7月、サードアルバム「SOUL SURVIVOR」(CDとLP)。 10月20日、新宿ロフトで中川が「ザ・ニューエスト・モデル」の解散を宣言、以後「ニューエスト・モデル」と改称。 |
9月、キングレコードよりCDシングル「笑いっぱなしの島」でメジャーデビュー 10月、セカンドアルバム「SPOONY SELFISH ANIMALS」(CDとLP)。 |
1990 |
5月、4thアルバム「CROSSBREED PARK」(CD。のち自主制作でLP。これ以降アルバムのアナログ盤同時発売を中止)。 |
7月、CDシングル「おはなみ列車」。 |
1991 |
6月、CDシングル「もっともそうな2人の沸点」。 アルバムの発表が遅れる。 |
3月、サードアルバム「IDEOLOGY COOKING」。 7月、ミニアルバム「NOSTALGIA SYNDROME」。 |
1992 |
2月、5thアルバム「UNIVERSAL INVADER」。オリコン初登場10位を記録する。
6月、大木正博(マー坊。ドラム)が加入。 9月22日、川崎クラブチッタで喜納昌吉&チャンプルーズと初共演。 |
アルバムの発表が遅れる。 |
1993 | 3月、シングルとアウトテイク集「COUNTER-CENSORSHIP」。 | 3月、シングルとアウトテイク集「RESPECTABLE SINGLES」。 |
ソウル・フラワー・ユニオン | |
1993 |
5月2日〜5月3日のパワステ2daysから、「ニューエスト・モデル(ソウル・フラワー・ユニオン)」「メスカリン・ドライヴ(ソウル・フラワー・ユニオン)」という表記を使い始める。 9月18日、大阪城野音でボ・ガンボスとフリーコンサート。これが、ユニオン結成初ライブとされている。 11月、キューン・ソニーよりソウル・フラワー・ユニオンのファースト・アルバム「カムイ・イピリマ」をリリース。もともとメスカリンのアルバムとして制作されていたもので、リード・ボーカルは主に洋子。 |
1994 | 10月、ソウル・フラワー・ユニオンのセカンド・アルバム「ワタツミ・ヤマツミ」をリリース。 |
1995 |
1月17日、阪神大震災が起こる。2月10日よりメンバー全員が被災地に赴き、 避難所などでアコースティック楽器を使用した出前ライブを行う。 この「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」が95年のメイン活動となった。 10月、被災地を歌ったCDシングル「満月の夕」をリリース。 当初、チンドン演奏の「復興節」をカップリングする予定でレコーディングがされていたが、ソニーの要望で中止となる。 このことが結果的に「モノノケ・サミット」名義のレコーディングへとつながった。 |
1996 |
1月、モノノケ・サミット名義のアルバム「アジール・チンドン」を自主制作で発表。 1月21日、神戸の長田神社で「長田つづら折りの宴」を開催。 多数のボランティアとアーティストがノーギャラで参加し、観客のべ1万2千人が境内をうめつくす大規模な祭りとなった。 6月、ユニオンのベスト盤「GHOST HITS」。 8月、ピースボートに同乗し、北朝鮮でモノノケ・サミットのライブを行う。 10月、ユニオンのサードアルバム「エレクトロ・アジール・バップ」。 この年、クラリネットの大熊亘が参加、「7人目のユニオン」となる。 |
1997 |
4月、ミニアルバム「宇宙フーテン・スイング」。「家出」「別れ」をテーマにした歌詞や、ライナーの裏表紙にある「Fin」の文字、さらに5月のライブでは伊丹と内海が部分欠場するなど、ファンにとって不安な状況が続く。 伊丹の耳の不調(93年頃からという)などを理由にユニオンの活動を停止、「家出のすすめ」としてメンバー各人の個人活動へ入っていくことが発表される(ROJ5月号など)。高木太郎が脱退。 7月末より、ピースボートに同乗し香港、ベトナム、フィリピンでモノノケ・サミットのライブ。 10月、モノノケのセカンドアルバム「レヴェラーズ・チンドン」を自主制作で発表。 12月20日、京大西部講堂でスペルマのRANKO追悼コンサートを主催、カルメン・マキ&OZ(一夜だけの再結成)らとともにユニオンが出演。 |
1998 |
2月、ソウルシャリスト・エスケイプのアルバム「ロスト・ホームランド」発表。 全国ツアーを行う。 5月のパワステライブを最後に、内海洋子が脱退。 6月、ニューエストとメスカリンそれぞれのベスト盤がキングからリリースされる。 12月、ユニオンの次作の先行シングル「イーチ・リトル・シング」。 |
1999 |
1月、ユニオンのシングル「青天井のクラウン」。NHK「みんなのうた」で前年12月から2か月間放映された。 8月1日、釜山のロックフェスティバルにユニオンとして出演。 公的な場所での日本語規制が緩和された韓国の政策動向を反映したもの。 9月より中川がNTTコミュニケーションズのテレビCMに沖縄の登川誠仁とともに出演。 12月、ユニオン初のライブアルバム「HIGH TIDE & MOONLIGHT BASH」発表。キューンを離れ、インディーでのリリースとなった。 |
2000 |
1月28日、どんとハワイで逝去。
3月、ファンによるボ・ガンボスのレコード再発運動がおこり、全アルバムが再発される。この署名運動には中川も賛同し、31日新宿リキッドでのライブ会場に署名ブースを作って協力。この時のツアーで「トンネル抜けて」を披露した。
7月29−30日、苗場のフジロック・フェスティバルに出演。
内海洋子が久々に参加した。ユニオンは2回演奏、グリーンステージでの大トリをつとめた。全力オナニーズ(とドラヒップ)がダンサーとして参加した。 8月、ミニアルバム「Unchain」発表。豊田利晃 監督映画「アンチェイン」のサントラを含む。 12月(?)登川誠仁のアルバムプロデュースのため、中川は沖縄へ。一曲デュエット。このレコーディングには伊丹もチンドンで参加。2001年リリース予定。 12月よりドラムスにコーキ(朴保&切狂言)が参加。 |
2001 |
5月、SFUがサントラを担当した豊田利晃の映画「Unchain」の公開がはじまる。テアトル新宿ではその上映にあわせて、ソウルフラワーのミニライブと、中川セレクトの映画上映というイベントが行われた。
5月9日、登川誠仁の「スピリチュアル・ユニティ」発売。 中川プロデュース、ヒデ坊をはじめユニオンの全員が参加した。 また沖縄限定発売マキシシングル「緑の沖縄」が4月7日発売された。 7月、アルバム「スクリューボール・コメディ」発売。フジロック・フェスティバルに出演。ライブでの入場時のSEがアイラーの「Spirits Rejoice」に変更。
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2002 |
5月、東ティモール独立祝賀コンサートにモノノケが出演(5月20日)。中川、コーキ、山口洋、渡辺圭一の「ヤポネシアン・ボールズ・ファウンデーション」がアルバム発表。6月までツアー。 6月のライブより山口洋がギターとしてユニオンに参加(年末まで)。 8月、アルバム「ラブ±ゼロ」発売。 10月、ニューエスト、メスカリンのオリジナル音源が再発。 11月、ヒデ坊に女児誕生。 |
2003 |
3月のブレスト祭りよりユニオンにJIGEN(桃梨、頭脳警察)がベーシストとして参加。河村がギターに。伊丹は休場。 7月、アルバム「シャローム・サラーム」発売。 |
2004 |
6月、シングル「極東戦線異状なし!?」をライブ会場のみで販売。 9月11日、シングル「極東戦線異状なし!?」を店頭販売。 |
2005 |
6月、ピースボートに参加。パレスチナ難民キャンプでモノノケのライブを行った後エジプト、シチリア島へ旅行。 7月、アルバム「ロロサエ・モナムール」発売。フジロックフェスティバル出演。 9-10月のツアーで入場時のSEがアイラーの「Truth Is Marching In」になる。 10月頃、JTの缶コーヒー「Rootsレッドサバンナ」のCMソング(「Don't worry be happy」の替え歌)を歌っているのは中川ではないかと噂が流れるが、本当だったらしい。公式サイトでの情報はなし。 11月〜12月、ソウル・フラワー・アコースティック・パルチザン(中川敬、奥野真哉、JIGEN、佐藤けんじ (TEX & the Sun Flower Seed))の全国ツアー。 |