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記事索引目次

  1. 雑誌

    1. ロッキング・オンJAPAN
    2. ミュージック・マガジン
    3. その他の雑誌
    4. フリーペーパーとオンライン
    5. 外国雑誌

  2. 新聞記事
  3. 図書

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管理者:ラミ犬 (Mail)

 

雑誌

  ロッキング・オンJAPAN

-- 注記ない限りレコ評以外の記事は山崎洋一郎 (2000年まで) --

vol. 19, 1989.1. p. 76
Japan Times。注目のニューカマーとして紹介される。モノクロ。これがニューエストの ROJ 初登場、 文章は山崎洋一郎。山崎氏はニューエストの2nd(自主版)に感動しライナーに書いてあった中川の自宅に電話した(番号に「あんたの意見を聞かせてくれ」と添えられてた)といううわさ。 本文「彼らが突出しているのはパンク・バンド離れした音楽の多様性ではなく、むしろその"食欲"の方である」。

vol. 26, 1989.7. p. 84
Japan Times。3rdアルバム「ソウルサバイバー」レコ発。「ソウル・フラワー」レーベル、キング・レコードへ移籍。中川「今、心がアメリカに行ってるんですよ、ずっとブリティッシュ好きやったのにね」。本文「もともと彼は今までチューリップからジェイムス・ブラウンまで無節操にイカレまくった雑食性のリスナーだったそうで [...] 今さら何にかぶれようが大した事ではないような気はする」。

vol. 27, 1989.8. p. 50-55
メジャーデビュー中川インタビュー。モノクロ。中川「いわゆるジャムとかスモール・フェイセズみたいな系列のバンドを、モッズ風にじゃなくて、もっとかっこ良くできへんかなと思ってね。それがニューエスト・モデルなんですよ」。

vol. 28, 1989.9. p. 91. 文:佐藤健
新宿ロフト、7.22 のライブ評。「さながらジェットコースターのようなスピード感と展開力を楽曲に与えた最近のアレンジの方向性は正しい」。

vol. 29, 1989.10. p. ??
Japan Times。見出し「何がなんでも毎月載せる!『今月のニューエスト情報』」。

vol. 30, 1989.11. p. 50-55; p. 60-61; p. ??

  • ニューエスト、9.16 新宿パワステのライヴ・レヴュー&中川インタヴュー。中川「演奏のヘタな所とかもっと言われてもええはずやねんけど、[...] そういう所を放ったらかしにされてもええぐらいのパワーは自分らにはあると僕は思ってるんですよ」。
  • メスカリン、『スプーニー〜』でメジャー・デビュー。山崎の文と伊丹インタビュー。HIDEKO「昔は男の子が大嫌いやったんです。そやけど女の子もやっぱり単純でアホやなあ、と思て」。
  • 「インタヴュー場外乱闘」欄。ニューエスト。高速道路での3回転大破の事故をきっかけに『世紀の曲芸』をつくった。山崎「メジャー一の貧乏バンドは転んでもタダでは起きない」。

vol. 32, 1990.1. p. ??
Japan Times。3rd シングル『雑種天国』発売前。見出し「このライヴは伝説になります!」。

vol. 33, 1990.2. p. 104?-109
メンバー全員インタビュー。中川「音楽聴いてもらえばわかると思うよ、うたってることの内容何にも変わってないっていうことが」。

vol. 34, 1990.3. p. ??
"SCENE"欄。見出し「渋谷公会堂ライヴ、大成功!」。

vol. 37, 1990.7. p. 10?-21; p. ??

  • 初の表紙。4thアルバム『クロスブリードパーク』発売、メンバー全員個別インタビュー(3.5)。カラー。田中勉「いつもあの人[中川]が言うんですけど、自分の欠点に負い目とか感じて、他人に何も言えない、それじゃ影響し合えない」。
  • 「インタヴュー場外乱闘」欄。表紙+巻頭について中川「それは大間違いやで、やめようや」。

vol. 41, 1990.10. p. 152-155
中川インタビュー。見出し「RC、ボ・ガンボス、素晴らしい!だから俺らはとりいれへん。新しいことをやる」。 「場外乱闘」欄にも記事。

vol. 42, 1990.11. p. 50-51
メスカリン、新作レコーディングに突入。伊丹「メスカリンとニューエストの枠がないね。あたしなんか8人メンバーだと思ってるとこあるもんね」

vol. 43, 1990.12. p. 71-72
ニューエスト10.20渋谷公会堂レポート。見出し「意志が音楽を生む、その瞬間」。新曲4曲の歌詞が掲載される。

vol. 46, 1991.3. p. 38-43
The Flipper's Guitar VS 中川。カラー。司会:山崎。前年末の恒例パワステの前座をフリッパーズが勤めたことを縁にする対談。見出し:中川「もっとライヴやったらええのに」フリッパーズ「もっと出ればいいのに、オリーブ、セブンティーン(笑)」。「場外乱闘」欄にも記事。

vol. 47, 1991.4. p. 128-131
伊丹英子初ロング・インタビュー。『イデオロギー・クッキング』発売。伊丹[アルバムのコンセプト"習慣"について]「自分を崩していく作業が去年すごく楽しかってん。自分で、伊丹英子っていう人間が、いかに何も知らずに固定観念で動いてたかということがね」。

vol. 48, 1991.5. p. 42-43
中川インタビュー。新作レコーディング突入。見出し「いつまで同じことばかりやってんねん!」。うちカラー写真1P。

vol. 52, 1991.9. p. ??-??; p. 96-97; p. ??

  • ニューエスト、『ユニバーサル〜』リリース遅れる。中川インタビュー。カラー写真(野球帽にTシャツ、バミューダ・ジーンズ姿の中川)。中川「もっと演奏してる人間の信頼関係で成り立つ音楽をやりたいねん」。
  • メスカリン、「ザ・ルーツ・オブ・伊丹英子」。リスニング歴を語る。
  • 「場外乱闘」欄。

vol. 58, 1992.3.

  • 5thアルバム『ユニバーサル〜』レコ発、中川敬インタビュー。カラー8P。
  • ディスクレビュー:渋谷陽一。

vol. 59, 1992.4. p. 126-131; p. 171

  • 奥野真哉インタビュー。見出し「中川敬と並ぶ柱になりたい」カラー。
  • 「場外乱闘」欄。

vol.61, 1992.6. p. 98-99
中川敬 vs 山崎洋一郎「ニューエスト・モデルおたくに捧ぐ ヒストリービデオ『ソウル・フラワークリーク1989-1992』誌上上映会」

vol. 69, 1993.2. p. 64-69
ニューエスト&メスカリン、前年末の恒例パワステ3days ライブレポ+伊丹&中川の楽屋インタビュー。

vol. 70, 1993.3. p. 163
ベスト盤リリース、そのディスクレビュー。「カウンター・センサーシップ / ニューエスト・モデル」兵庫慎司。 「リスペクタブル・シングルズ / メスカリン・ドライヴ」田中宗一郎。

【ソウルフラワー党VIPリスト】

vol. 71, 1993.4. p. 103. 第1回 永野かおり(メスカリンドライヴ、ベース)
vol. 72, 1993.5. p. 110-111. 第2回 河村博司(ニューエストモデル、ベース)

vol. 73, 1993.6. p. 112-113.(VIP リストを1回休んで、同じコーナーで)
対談:喜納昌吉 VS 中川。司会:山崎洋一郎。喜納「彼[中川]は大きなメジャーの思想を持ちながら、つねにマイナーを裏切れない体質があるわけさ」

vol. 74, 1993.7. p. 134-135. 第3回 高木太郎(メスカリンドライヴ、ドラム)
vol. 75, 1993.8. p. 118-119. 第4回 奥野真哉(ニューエストモデル、キーボード)

vol. 78, 1993.11. p. 140-141. 第5回 内海洋子
vol. 79, 1993.12. p. 128-129. 第6回 伊丹英子
vol. 80, 1994.01. p. 182-183. 第7回 中川敬

vol. 77, 1993.10. p. 6-25; p. 167

  • SFU 1st アルバム、中川+伊丹 + 中川敬2万字インタビュー。 表紙(2度目)+巻頭カラー20P、インタビュアー:山崎。 表紙タイトル「最強の反体制ロックバンド、ここに決起!」。 見出し「状況に乗っかるのはもうやめた方がいい。俺ら6人は状況を作る側に立つんや!」
  • 「場外乱闘」欄。

vol. 80, 1994.7.
前年10月23日「ニライカナイ祭」における参加者対談+喜納昌吉インタビュー。対談参加者:中川敬、伊丹英子、どんと、サチホ、宮沢(The Boom)。 モノクロ10P。

vol. 89, 1994.10. p. 36-75; p. 228-229
2nd アルバム「ワタツミ・ヤマツミ」レコ発インタビュー。「オーストラリア」ロケ写真(うちカラー19P)。3度目の表紙。

  • 伊丹英子インタビュー「人が幸福な顔をするのを見るのが一番好き」。
  • 中川敬インタビュー「これは面白い『見世物』やねん」。
  • 中川+伊丹+奥野インタビュー「一緒に成長していきたいんや」。
  • ディスクレビュー(合評):井村純平、中込智子、増井修。
  • さらに「JAPAN TIMES」欄表紙に中川のゲタの写真、「場外乱闘」欄に"サン・ロドリゲス海岸"での"総経費600万を超え"たロケ(8.18)の模様。

vol. 95, 1995.4.
HotNews 欄に「ソウルフラワー震災基金」が冒頭で伝えられる、17行。

vol. 96, 1995.5.
モノノケの活動についての読者投稿、青木優。 PIX 欄に「'95 2 12」という日付入りのモノノケの写真が掲載される。

vol. 103, 1995.10. p. 156-163
「モノノケの民はどこへ行くのか?」中川インタビュー、モノクロ。中川「俺はな、"杓子定規"をシングル・カットした段階からずーっとレコード会社に言うてんねんて『タイアップ見つけてくれ!』て。『何の主題歌でもかまへん』て」。

vol. 109, 1996.2. p. 12-15
"SCENE"欄。山崎洋一郎によるユニオン評「中川敬、やせてロックする!'96」と、中川・伊丹による『アジール・チンドン』によせて、の二記事。

vol. 122, 1996.11. p. 80-87
SFU 3rd アルバム『エレクトロ・アジール・バップ』発売。中川インタビュー。カラー。震災について、など。

vol. 128, 1997.2. p.42-43. 兵庫慎司
写真1P. モノクロで、楽屋で語り合う中川+グレートマエカワのショット。 見出し「ただ単に面白いロック!」。文章の半分近くがフラカンのレポート。

vol. 131, 1997.5. p. 114-115
写真1P. 見出し「SFU、変革の季節」。同号に「宇宙フーテンスイング」のレコード評あり。

vol. 134, 1997.7. p. 142-147
写真3P. 中川インタビュー。中川「俺にしても伊丹英子にしてもとりあえず家を出た人間やと思うねんけど、でもまたどっかで家を作ってるっていうことがやっぱあったなあっていうのがあって。で、また家出をしてるっていう感じやね」

vol. 138, 1997.11. p. 296-297
ディスク・レビュー欄。『レヴェラーズ・チンドン』。(タイトルが『レヴェラーズ・チルドレン』になっている・・・とほほ)

vol. 143, 1998.1. p. 193-194
ディスク・レビュー欄。『短距離走者の孤独』。

vol. 146, 1998.3. p. 128-133
ソウルシャリスト・エスケイプについて。ユニオンの現在と今後について。 中川「以前は一人でいるって事を怖がってたかもしれないね」

vol. 152, 1998.7. p. 252
ディスク・レビュー欄。『Beast Hits』。

vol. 164, 1999.3. p. 260
ディスク・レビュー欄。『Winds Fairground』。なおこの号にはアルバムの広告ページがあり、以前は巻頭もやったのに今回はインタビューもない、とROJ編集からとおぼしきコメントあり。

vol. 179, 1999.12. p. 301
ディスク・レビュー欄。『High Tide ...』。 なお、この号は90年代日本ロックに関する同誌ライターの対談が掲載されており、 ニューエスト・モデルに関するくだりもある。また「激刊・山崎」には同様の話題でソウル・フラワー・ユニオンの名前があげられている。

vol. 180, 2000.1. p. 174-179
特集 "Rock Manufesto 2000" に中川インタビュー。中川「まあ確かに横は向いてるよね、子供の時から。でも前を向き始めたんちゃう?」。

vol. 192, 2000.9. p. 297
「アンチェイン」レコード評。同号にフジロックでのユニオンに関する記述数行あり。

2000.10.
フジとエゾロックに関する鹿野+山崎対談に、ユニオンに関する発言あり。

vol. 196, 2000.12. p. 196-201 鹿野淳
中川インタビュー。

vol. 208, 2001.8. p. 98-105 鹿野淳
「スクリューボール〜」レコ発。カラー写真3P含む。中川インタビュー。

2002.9.10. p. 130-137 鹿野淳
「ラブ±ゼロ」レコ発。白黒写真4P含む。中川インタビュー。

vol. 249, 2003.8 p. 172-173 (CHECK IT OUT!) 鹿野淳
「シャローム〜」レコ発、中川インタビュー。

vol. 2005.8 p. 188-193 山崎洋一郎
「ロロサエ〜」レコ発。白黒写真2P含む中川インタビュー。

目次

  ミュージックマガジン

1992.02. p. 86-89. シライユタカ
前年12月14日パワステのライブレポート。(年末ソウルフラワー3days) ニューエストに河村が新ベーシストで加入。 全員揃ってのカバーセッションでは「ペイル・ブルー・アイズ」等を演奏。

1992.03. p. 34-43. 能地祐子
「ストーンズもビートルズもオレらもみんなサンプリングしてるんだと思うよ」。 中川インタビュー。ニューエスト・モデル「ユニバーサル・インベーダー」発売。 p. 301とp. 365に レコード評「ユニバーサル・インベーダー」

1992.04. p. 273
レコード評「ユニバーサル・インベーダー」。

1992.06. p. 290, p. 316
ビデオ評「ソウル・フラワー・クリーク」。

1992.08. p. 46-53
対談: 中川×ビリー・ブラッグ。中川による対談の前文と「ビリーのCDこれだけは『聴け!』」つき。

1993.10. p. 211. 囲み記事
20行。ソウル・フラワー・ユニオン結成。

1993.11. p. 290, p. 318
レコード評「カムイ・イピリマ」。

1993.12. p. 166. 志田歩
中川インタヴュー。ソウル・フラワー・ユニオン結成。見出し「古い"ロック"の殻を脱ぎ捨て新しい"根っこ"を目指す連合体」。志田による「喜納昌吉の新作レコーディングで『騒乱』したソウル・フラワー 沖縄遠征を追っかけルポ」つき。 p. 277 にレコード評「カムイ・イピリマ」。

1994.10. p. 269, p. 286
レコード評「ワタツミ・ヤマツミ」。

1994.11. p. 66. 加藤彰
中川・伊丹インタビュー。ワタツミ発売。見出し「"もののけ"とされた者たちの本当の声を届ける歌」。同号p. 181にニューエスト、メスカリンに関する記事。

1995.12. p. 141
アジール・チンドン発売に関する17行記事。

1996.02. p. 203
レコード評「アジール・チンドン」。

1996.03. p. 134-135. 竹内雅明
つづら折り(ミニ・レビュー)。

1996.11. p. 90-97. 加藤彰
タイトル「アリラン峠を越えてゆく - 北朝鮮訪問記 - 近くて遠い国で流れたソウル・フラワー・ユニオンの歌」。ピースボート企画のツアーに同乗し朝鮮民主主義人民共和国を訪問 (1996.8.8-18)、2度のライブを行ったときのレポート。 p. 232 レコード評に「エレクトロ・アジール・バップ」。

1997.06. p. 116. "NEWS"欄
ソウル・フラワー・ユニオン活動休止、中川ソロプロジェクト計画のニュース。

1997.10. p. 230
レコード評「レヴェラーズ・チンドン」。

1998.03. p. 54-59. 松村洋
ソウルシャリスト・エスケイプについて。見出し「どこへ行ってもオレの国」 p. 228 レコード評に「ロスト・ホームランド」。

1998.08. p. 78-85. 松山晋也
ドーナル・ラニー、山口洋、中川敬の鼎談。 見出し「なぜアイルランド音楽はクールなのか」
(途中 p. 82-83 はキーラの記事)

1998.09. p. 120
書評「国境を動揺させるロックン・ロール」

1999.02. p. 56-57.
「読者投票による21世紀の音楽シーンの鍵を握るベスト20」に、第二位ソウル・フラワー・ユニオンが選ばれる(一位はベック)。

1999.03. p. 14-15. 久保太郎
うち、カラー写真1P。中川・伊丹インタビュー。 なお、同号 p. 66-67 松山晋也の Blind Jukebos 第7回のゲストは大熊亘。

1999.04. p. 43-45
「『ミュージック・マガジン』のこれまでとこれから」に中川のコメント。 p. 154 クロスレビューに「ウィンズ・フェアグラウンド」。

1999.12. p. 60-65. 小野島大
うち写真2P。見出し「"頭でっかち"は現場で解放された」。中川インタビュー。 初のライブ盤について。中川「ミュージシャンとオーディエンスと音楽評論家の三者が作るのがロックンロール文化であるという思いはある」。 なお、10月号の Feedback 欄投稿(若林祐司さん。ソウルフラワーのケルト音楽受容に対する批判)に中川が直接反論するという企画があったが、話がかみ合わなかったということで掲載されていない。しかし同号 p.108-109 Feedback 欄には10月号投稿へのレスポンス(ポッターみどりさん)あり。 またp. 175 にレコード評「ハイ・タイド〜」。

2000.1. p. 51
1999ベストアルバムに中川のコメント。また同号 p. 34-35 には1999ベストアルバム「日本」として「ハイ・タイド〜」が掲載される(選者・志田歩)。 またp. 149 クロスレビューに「ハイ・タイド〜」。

2000.2. p. 66-67.
「読者による音楽シーン大予想」で、99年もっとも愛聴したアルバム8位に「ウィンズ〜」、「2000年もっとも活躍が期待されるアーティスト」2位に昨年に続きソウル・フラワー・ユニオンが選ばれる(1位も昨年同様ベック)。

2000.3. p. 72-77.
小沢昭一の『ドキュメント日本の放浪芸』(CD)復刻記念として、小沢と中川の対談。 見出し「ヨイショするのも芸能、ヨイショして後ろ向いて舌を出すのもまた芸能」。

2000.5. p. 30-31; p. 205
特集「言葉を考える」の「私が考える素晴らしい歌詞」(スティーヴ・マックルーア)に「満月の夕」。ライブレビューに3.29新宿リキッドルームのライブ評(行川和彦)。ライブ評本文「残念ながら退屈の一言。 [...] なぜ音が弱いかと言えば、やはり頭デッカチだからだと思う。だから"知識人"のファンがつくのだろう」。

2000.8. p. 39
特集「どんとは死なない!」に各ミュージシャンからのメッセージ。 中川「一番ええ時期のボ・ガンボスには俺が勝手に思っているバンドの理想形というのが完全に見えた」。

2000.9. p. 181
レコード評「アンチェイン」。同号にフジロックでのユニオンに関する記述数行あり。

2000.10. p. 86-87
石田昌隆「音楽の発火点 45. さまざまな満月」。 「満月の夕」の論評。8月寿町フリーコンサートの写真つき。

2001.8 特集ソウル・フラワー・ユニオン p. 18-43 北中正和[他]
「スクリューボール〜」レコ発。表紙(イラスト)、メンバー全員インタビュー、「 ソウル・フラワー全ユニットアルバムガイド」、コラム、評論。

2002.6. p. 74-77
JBFレコ発、中川・山口インタビュー。 またレコード評(p. 135)。

2003.8. p. 52-57
中川、森達也の対談。中川「俺は挫折感とか、そういうのはない。[...] 人間は少しずつではあるけれど進歩してるんかなってね」 森「想像力があれば、希望はなくならない、と僕は考えてます」。レコ評 (p. 130)。

2003.11. p. 78-79. 松山晋也とめかくしプレイ
ゲスト中川敬。中川の小学生時代(チューリップ)からのリスニング歴に迫る。

目次

  その他の雑誌

宝島 1988.10. p. 36
メスカリンの紹介文20行と写真。本文「ヴォーカルのヨーコはNY育ちで、歌詞はもとよりMCまでもが英語で語られる」。

ロッキング・オン 1989.5 vol. 18. p. 118
Roof Top 増刊 vol. 1 のビデオレビュー。山崎洋一郎。メスカリンについて「全体のムードとサウンドスタイルの狙い目だけが先行している」。

宝島 1989.9. p. 113
メスカリンのYOKOとHIDEインタビュー。HIDE「特にギターの音には頑固なまでにこだわってます」。ドラマー未定で写真は三人。p. 175 にニューエストの「ソウル・サバイバー」レコ評。

宝島 1989.10. p. 125. 菅岳彦
中川インタビュー。中川「『ソウルサヴァイヴァーの逆襲』っていうのは [中略] ほんとに死んでなくても抑えつけられてる人間の怨念っていうか、見えない力の逆襲が始まるみたいな意味」。

ロックンロール・ニューズ・メーカー 1989.11. p. 58-60. 福井公彦
うち1P白黒写真。メスカリンの紹介文にヒデコとヨーコのコメントつき。この頃ドラムはMAO。 見出し「名前が出るのに比例して、物事をハッキリ言いたくなってきた」。p. 112 に「スプーニー〜」の紹介記事。

SHOUT! no. 4 (1990.1) p. 50-51; p. 102 p. 50-51 ニューエスト(金美津穂)。 バンド名変更「ザ・ニューエスト」→「ニューエスト」。
p. 102 メスカリン(小島智)。 「スプーニー」発売。MAO加入。本文「同級生バンドが増え、バンドマンの倫理的な部分も根本から変わってしまった感のある昨今、このストイックさはちょっと評価に価することだろう」。

03(ゼロサン)3号 (1990.2) p. 116(1/2ページ)
ニューエスト渋公進出。「ソウル・サバイバー」紹介。

ロックンロール・ニューズ・メーカー 1990.12. p. 148-151
うち2Pは二人それぞれのカラー写真。広瀬陽一の司会で、財津和夫と中川の対談。小学校時代チューリップのファンだった中川。ビートルズのポールとジョンのあり方にたとえて自分達の立場を語る。
なおp. 81には中川のエッセイ。メスカリンのレコーディング、おすすめの本や新譜について。(この頃連載されていた中川と奥野の対談コラム「追いつ追われつ」の枠)

SPA! 1991.1.2/9合併号
中川敬VSパンタ対談。見出し「どっちのメッセージが過激か?」

SWITCH 1991.7. p. 98-99. 佐々木直也:文
うち白黒写真1P。中川「[みんな]自分に間違いないと思って歩いているなって……外が見えへんのとちゃうかなって気がすんねん」

an(アルバイト・ニュース)中川の連載「この島の処方箋が見たい」

  • 1992.2? 第4回 歴史的名盤「ブロンド・オン・ブロンド」の世界
    ディラン「ブロンド〜」のジャケット写真つき紹介。
  • 1992.3? 第5回 「自決」の音楽 (2)
    フランスのファンクバンドF.F.F.の紹介。F.F.F.「Blast Culture」のジャケット写真。
  • 1993.2? 第9回 ホンモノのジャーナリズム
    「週刊金曜日」創刊の紹介。本多勝一「新版 野球とその害毒」表紙写真。

ロックンロール・ニューズ・メーカー 1992.3?. 広瀬陽一
ニューエスト・モデル「ユニバーサル・インベーダー」発売。中川インタビュー。中川「[アイヌ民族を]滅ぼそうとする側はおるけど。権力持ってる人間というのは権力守るために、それが意識的だろうが無意識的だろうが、実にしつこくやっとんねん。 [...] それに負けへんくらいの、それを凌駕するくらいのしつこさを持たなしょうがないねん。こちら側もね。執念深くやる他ないねん」。

  • 同誌には他に、中川とパンタの対談が掲載されたことがあるそう。 パンタについて情報をお持ちの方いませんか。

an(アルバイト・ニュース)1992.6? p. 38-39. 石原基久
うちカラー写真1P。ビデオ「ソウル・フラワー・クリーク」紹介。中川「[シングル盤ジャケットでロック名盤パロディをやったことについて]あれをやって持ちこたえるだけの図太さを持ってるバンドはこの日本でニューエスト以外ない」。

an(アルバイト・ニュース)1993.3? p. 38-39. 野中恵美子
うち「カウンター〜」「リスペクタブル〜」のジャケット写真1P。キューン移籍。伊丹「[これからの活動について]アイデアはいっぱいあるんですよ。例えば劇団とかでよくあるようにテント持って全国まわったりとかね。全くロックバンドなんて来ないような土地で、晩はイベントやって次の朝はもうトラックで移動してるような」。

シティロード 1993.3. p. 27 長谷川博一
「カウンター〜」「リスペクタブル〜」レコ発、伊丹&中川インタビュー。伊丹「次のアルバムは完全にメロディーが先。メロディーがサウンドを教えてくれる感じ」。

ロックンロール・ニューズ・メーカー 1993.12. 広瀬陽一
ユニオン結成、中川・伊丹インタビュー。伊丹「[考える] きっかけさえない社会で、せめてきっかけを作りたい」

an an. no. 904, 1994.1.14
「いちばんわかり合えるのは身近にいる人、を証明した4人」という見出しで、伊丹英子インタビュー。本文「現在の彼はバンドのメンバー」。伊丹「お互い妥協しないからこそ、深い関係が築ける」。

Freakout 1995 vol.8. p. 26-37. インタヴュー:井口啓子
カラー。中川インタビュー。 中川「『デモにいく豆腐屋』の作る豆腐には、当然『デモにいく豆腐屋』のメンタリティも込められてるはずやねん」。

賃金実務 (日本賃金資料センター) 中川敬「アジール・チンドン宣言:震災・現場・音楽」9回連載

  • 764 (1995.12.15) p.64-65 第1回 激震
  • 766 (1996.3.15) p.46-47 第2回 出前ライブ前夜
  • 768 (1996.4.15) p.36-37 第3回 籠の鳥
  • 772 (1996.6.15) p.52-53 第4回 満月の夕
  • 774 (1996.7.15) p.62-63 第5回 健常者問題
  • 775 (1996.8.1/15) p.78-79 第6回 ナガタ・チンドン
  • 777 (1996.9.15) p.36-37 第7回 インターナショナル
  • 781 (1996.11.15) p.40-41 第8回 つづら折りの宴1
  • 783 (1996.12.15) p.35-37 第9回 つづら折りの宴2
G-SCOPE 1996.10. p. 4-6. 取材・構成:石原基久
中川・伊丹インタビュー。 中川「ほんまは民謡ってキーワードはなかったよ。SFUの音楽はずっと今でも変化してるし、連続の過程に過ぎないから」。 伊丹「"現場"で今もずっと生き続けてる音楽ってのをやりたいと思ったわけで、民謡とか言い出したら、その言葉だけをとらまえてアイデンティティ探しみたいに言われるとちょっと違うんちゃうかってのがあった」。

DOLL vol. 112, 1996.12. p. 66-67. インタビュー:青木優
中川敬インタビュー(96.9.27)。新作「エレクトロ〜」、北朝鮮について、など。 見出し「どんどん恐いもん、なくなってきてる」。中川「やっぱり民謡とかは、メロディがすごく強い。残ってきただけのことはある。[...]それを俺らは、スペシャルズやポーグスが出てきたような、あの感じでできると思う」。

キーボード・マガジン 1997.1. p. 62-63
奥野&中川インタビュー(96.10)。 奥野「アルバムではコードで曲を進めていくというのではなくて、聴かせたいメロディの流れを単音で作っていくというのを大事にしてましたね。[...] [歌メロと]ぶつかるから、和音にするというのもあるかもしれないけど、それはごまかされているだけであって、余計ぶつかってるんじゃないかと思いますね」。 中川「キーボードっていうのはおもろいけどこわい部分もあるね。[...]基本的には西洋音階が鳴りやすいような配置になってるから[...]よっぽど想像力たくましくしないと、おもろないプレイしかできない楽器やね。俺にいわせたら(笑)」。

J-ROCK magazine 1997.2, v. 21. p. 40-43.; p. 87.
p. 40-43(山田純子)。コークステップ(96.11.10)のライブ評と中川インタビュー。 中川「あれ[仮設住宅などでのライブ]は本当に、たまにやりたいねん。リハビリじゃないけど、あれをやるとすごく音楽の根本に立ち返れる。みんな責任感で続けてるとか思ってるみたいやけど、そんなんと全然違うで」。 p. 87(Keiko Murata)。伊丹インタビュー。ヒデ坊はぜんざいが嫌い(なのに仮設でぜんざい大会開いた・・・)という事実が判明。

BRIDGE vol. 14, 1997.4. p. 94-99. 大橋敏彦
中川インタヴュー

J-Rock Magazine 1997.8. p. 97-98
"Check It! Kansai" 欄に伊丹英子インタビューとフェスタin湊川レポート。インタビューは主にモノノケのこと。

Switch 1997.10. p. 87
モノノケ・サミットの記事。伊丹英子インタビューを含む、8月の長田地蔵盆レポート。カラー写真込みで1P。

週刊プレイボーイ 1997.10.21. p. 196-197
「平成名盤ウィークリー」欄に中川インタビュー。 写真のキャプション:「THIS WEEKS SEXY IDOL」(…)。 「レヴェラーズ・チンドン」の紹介。中川「自分らのは拳を開いて踊る歌やと思っている」

Crossbeat 1997.11. p. 164
レベラーズチンドン CDレビュー (10行)

Studio Voice. 1997.12. vol. 264. p. 80. 鈴木茂
「ソウルフラワー・ユニオンのグレイト・エスケイプ」。中川のソロ活動と、モノノケの活動及びセカンドアルバムの紹介。

週刊金曜日 v. 202, 1998.1.16. p. 13
見出し「それぞれの口から出てくる記憶の歌を」。 中川インタビュー。 中川「[モノノケの演奏は]昔に聞いた記憶の歌かもしれないけど、いま口ずさめばそれはその人にとって今の歌」

BRIDGE 1998.2. p. 96-101. 大橋敏彦
中川インタヴュー。ソロ活動とこれからのユニオンについて。

AERA 1998.3.16. p. 62-64
モノノケの3年。中川の少年時代と今、などについて。 見出し「仮設住宅にゃうたがある」。 中川「最近、年寄りが涙もろくなってる。[...]もっと仮設回らなあかんな、て言うてるんや」

MYOJO 1998.4
「音楽業界 激レア新聞"コラム・カーニバル"」に中川のギターに関するコラム「俺の三本」。「いちばん気に入ってるのはムーン・レゲエマスターで、2本持ってる。[...] あとは、青春の1本リッケンバッカー330」。

H 1998.7. p. 106-107. 大橋敏彦
中川&ドーナル・ラニーのインタビュー。

Barfout vol. 036, 1998.8. p. 108-109.(うちカラー写真1P)
ミニ・アルバム「マージナル・ムーン」の紹介と、中川+伊丹インタビュー。

UV vol. 37 (1998.11) p. 132-133. 見開き、カラー写真
メンバーが四人になった新生ソウル・フラワー・ユニオンのインタビュー。

SWITCH 1998. 12. p. 178-183+付録のブックレット(8 p.)大橋仁:写真、川口美保:文(p. 182)
ソウル・フラワー・ユニオンのアイルランド紀行。裏表紙(p. 184-185)に見開きで新譜「Each Little Thing」の広告写真。

SPA! 1998.10.28.
エイジアン・ラビットの紹介。

ELLE JAPON 1998.12. p. 253
「心に音の風を吹き込んだアイリッシュたち」。ドーナル・ラニーの紹介に、伊丹のコメント。

Barfout vol. 041, 1999.1. p. 92-93.(カラー写真つき)
中川、曽我部(サニーデイサービス)、岸田(くるり)の鼎談。曽我部、岸田は、ニューエストのファンだったそうだ。鼎談の後意気投合した三人は朝まで飲んでいたという。

Rhythm & Pencil Vol.00000000000001. 1999.1
Jonatahan Richman issue. p. 44
奥野によるジョナサン・リッチマンのライブレポート (97.5.23 十三ファンダンゴ)

J-ROCK magazine 1999.2. p. 74-75
中川インタビュー。うち白黒写真1P。

BRIDGE 1999.2. v. 21. p. 76-79. インタビュー/撮影:林陽子
中川インタビュー。ニューアルバムとユニオンの現在について。うち見開き白黒写真2P(場所は伏見稲荷?)。

H vol. 27 (1999.3) p. 98-99. 斉藤まこと
エイジアンラビット、伊丹英子インタビュー。(ただし、店は取材の後休業中のもよう)

クイック・ジャパン v. 24 (1999.4) p. 98-109. 春日正信
連載「ロックと差別」に中川のロングインタビュー。 中川「いろんなもんがおるってことを知っとくっていうこと自体がすごく大事なんや」。

GB 1999.4. p. 70-71.
中川インタビュー。「ウィンズフェアグラウンド」について。中川が標準語でしゃべる貴重なインタビュー。

噂の真相 1999.4. p. 108.(8行)
「今月聴かなかったCD」に Winds Fairground。本文「魂の花同盟とかには改名しないんだろうか [...] 英表記のバンド名ってこの連載をやってるとウンザリなんだよね」。

Snoozer 1999.4. p. 68-73. 田中宗一郎
中川インタビュー。タイトル「ソウルフラワーユニオン、その闘争の行方・中川敬は「ロックンロールから降りてしまった」のか?」。

ダ・ヴィンチ 1999.7. p. 35.
伊丹英子インタビュー。見出し「音楽で神と踊ろう!」。写真のキャプション「世話したお年寄りが亡くなるときに子供のような表情になる変化を「仏様になる」こととかつては思っていたとか」。

SPA! 1999.9.8. p. [128]-131. 石田昌隆 文・写真.
「エッジな人々108」。カラー写真2P+中川・伊丹インタビュー2P。 ユニオンの釜山ライブについて。中川「俺はね、ずっと言うてるの、俺らこそが最後のビジュアル系やって」。

Snoozer 1999.10. p. 139.
寿町フリーコンサートのレポート2篇。

DUNE (ARTDAYS社) No. 18 (1999 Autumun). p. 136-141.
豊田利晃「Tiger Wars」という阪神タイガースや釜ヶ崎のことを書いた文章に、中川インタビューが含まれている。 写真は魂花神社(?)でのものか。天井にスポーツ新聞の阪神関連記事が貼ってある。

大阪人 1999.11. p. 29-32. 本渡章
見出し「アートと芸能を一本の道にしたいねん」。中川インタビュー。

國文學 : 解釈と教材の研究 44巻13号(1999.11)
特集「音楽 : 声と音のポリフォニー」に北里義之「歌の零度 : ソウル・フラワー・ユニオンをめぐって」(p. 100-109)。 同号はさらに大熊亘「民謡という名のモダニズム」を掲載(p. 53-59)。

Studio Voice 1999.12. p. ??. 小野島大
[内容未確認]

デマゴーグ v. 1 (1999.12) p. 79-81. 真保みゆき
中川インタビュー。見出し「"俺の日本語で歌う、日本ならではの音楽"という熱いこだわり」。中川「メロディは作った人間の財産やと思ってるんですよ」。

SNOOZER 1999.12. p. 56-59. 田中宗一郎
中川インタビュー。中川「ソウル・フラワーはもっと『アホな部分』を見せるべきなんよ。前線でもちょっと考えてるようなとこを見せてしまうからね」。

ダ・ヴィンチ 2000.1. p. 199. 及川望
中川インタビュー。ライブ盤について中川「全然知らない人に名刺がわりに自分たちのアルバムを渡すとしたら、当分の間はまちがいなくこの一枚」。なお書評誌なので読書についても一言。住井すゑ、浅井修一、永六輔、マルセ太郎、本多勝一の名前をあげる。

Studio Voice 2000.1. p. ??. 大須賀猛
中川インタビュー。SPEEDと大城美佐子のファンであるというインタビュアー(とても適任ではないだろうか)による記事。NTTのCMについて中川「いや、あのひとは、おれに似てるけど、別人なんですよ」。出る前に一週間ほど考えたとのこと。

Buzz 2000.1. p. 20-21. 山崎洋一郎
特集「さよなら90年代!」の92年にニューエストの「ユニバーサル・インヴェーダー」が取り上げられる。

インパクション no. 117 (2000.1) p.172-175. 大熊亘
「偽千年音楽放浪記 "虫瞰" 報告」(みれにあむみるまえにとんでひにいるむしのしらせ) という題で、1999年の シーサーズとの多摩全生園慰問公演、 ユニオンの釜山「アジアン・ロック・フェスティバル」出演などについて。

Stage (メディア.ガレージ). vol.1 2000.Jan-Feb. p. 2-13. 木村高志
「Pre stage interview」として中川のインタビュー。 中川「俺はあんまり政治的な人間じゃない [...] ただ、自分の快楽を妨げるものとして、いつも政治とか国家とかがやってくるから、 興味を持たざるを得ない」。

AERA 2000.2.14. p. 75. 山下里加
約半ページ。タイトル「地べたのライブ:ソウル・フラワー・ユニオン」。 主に震災以来の活動について。中川のコメントつき。 中川「音楽業界の動向より自分の好奇心を優先させたい。そうすれば人と出会えるんだと、震災で学んだから」。

J-ROCK magazine 2000.4
伊丹・中川インタビュー。[内容未確認]

週刊金曜日 2000.6.9 (318号) p. 40
「本のひろば」というコラムを中川が連載。 2000.8.25(328号)まで11回。

ロッキング・オン 2000.10.
p.54-59 フジロック総括対談と、p. 163-164 松村雄策「49歳のフジロック」に、ソウルフラワーに関する数行の記述。松村「中川敬には男の爽やかさがあり、伊丹英子には女の色気がある。そして、ソウル・フラワー・ユニオンにはロックンロールがある」。

Snoozer 2000.10. p. 130-134. 田中宗一郎
中川インタビュー。フジロック、どんと、「アンチェイン」について。 中川は今ビーチボーイズなどの古いロックンロールに凝っているらしい。

クイック・ジャパン v. 33 (2000.10) p. 96-97
奥野真哉「夏のライヴ日記2000」を掲載。中学時代にはじまる奥野の夏の野外イベント回想など。

週刊金曜日 2000.9.22 (332号)
「唄はそれぞれの心のなかにある」。ナビィ(寿)と中川の対談。

トーキンロック 17 (2000.10) p. 130-135
うちカラー写真2P。中川インタビュー。とにかく次のレコード会社募集中だそうです。

Fine Boys 2001.8. p. 42
半ページ。ミュージシャンのTシャツ特集に奥野登場。 トーキング・ヘッズの80年12月フランス(?)ツアーTシャツ(オレンジ・イエロー)を着る奥野のバストアップ+全身写真。他の登場アーティストはGrapevine、スケボーキング、スカパラなど。

ダ・ヴィンチ 2001.8. p. 190
中川。半ページ。 梁石日『夜を賭けて』についてのエッセイ。これを読んでしゃりすけの「日食の街」を書いたというエピソード。

Snoozer 2001.8. p. 20-29. 田中宗一郎
うちカラー写真4P。中川インタビュー。この直前にROJのインタビューがあったらしくて、内容的にダブっているところが多い。

トーキンロック No. 22 (2001.8), p. 78-85
「スクリューボール〜」レコ発。山崎の中川邸における中川インタビュー。部屋の写 真あり。「オーマガトキ」は映画「ブエナビスタ」ブームから生まれた、永遠のライ バルはヒデ坊、など。

Lightning (Ei Publishing) 2001.10, p. 76-81
「ロックとは何か」というテーマで、ソウルフラワーの音楽についてメンバー全員+ KOKI、山口洋、内海洋子のコメント。全頁カラーで、フジロックの写真が使用されている。 ちなみにこの号の特集は「クルマ選びの基準が変わった」。

Buzz 2002.1. p. 102-107
中川敬と Super Furry Animals の Gruff Rhys との対談。対談は2001年10月に行われた。

Snoozer 2002.6. p. 240-245
うち写真3P。ヤポネシアン・レコ発、中川インタビュー。

Switch 2002.6. p. 146-147
うち写真1P。ヤポネシアン・レコ発、中川・山口インタビュー。

Latina 2002.6. p. 88-90. 松山晋也
ヤポネシアン・レコ発、中川・山口インタビュー。中川、山口が選ぶ「エスニック」名盤リストつき。

Snoozer 2002.8. p. 238-241.
うちカラー写真2P。中川インタビュー。

音楽と人 2002.9 p. 120-125. 青木優
うち白黒写真4P。中川インタビュー。Love±Zeroレコ発。

Burst 2002.9. p. 100-105
「暴走対談 パンタVS中川敬」。

Switch 2002.10. p. 175
「ラブ±ゼロ」レコ発、中川インタビュー。

現代思想 30(14) 2002年11月臨時増刊 p. 160-167
総特集「日朝関係」に中川敬、大熊ワタル(聞き手)「国家より人間」。 中川「北朝鮮が何に似てるのかなと考えると、やっぱり戦前の日本なんや。そう言う意味で日本にはすごく罪があるな」

Snoozer 38 (2003.8)p.138-142 田中宗一郎
「シャローム〜」レコ発、中川インタビュー

トーキン・ロック 35 (2003.9) p. 164-167
うち2P白黒写真。「シャローム〜」レコ発、中川インタビュー。

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  フリーペーパーとオンライン

JUNGLE LIFE
21, 1996.12
表紙もSFU。巻頭インタビューが中川敬。「オピニオン・リーダーが語る1996年間ベスト」に伊丹英子が一文を寄せている。
中川「その場が被災地でなくて、東京のライブハウスでも『なんや一人一人の顔が見えるやん。ここはここで現場やん』って思った自分らが驚きやったね」

28, 1998.2. 特集「音楽の奇跡」
モノノケ中川、伊丹インタビュー。ソウルシャリストエスケイプ中川敬インタビュー。レコードレビュー(テーマ「プロデューサーの名盤」)に奥野真哉が寄稿。

35, 1999.4. p. 4-6
伊丹英子インタビュー。 4thアルバムについて「今回はひざ寄せ合って討論しながらっていうよりは、もうそこに私らの家があって、友だちとか親戚が遊びに来るっていう空気があって。しかもCDを買って聴いてくれる人も入る場所がある」。

胡散無産
97.8 創刊号表紙が中川+伊丹。以後、3号まで毎号メンバーのインタビュー。

DGTABLE(デジタブル)1997.11, p. 26
中川インタビュー。今後の活動について「モノノケはとりあえずこの2枚でと言う感じなんですよ。沢山ゲスト呼んでスタジオ・ヴァージョンだけで1回やってみたい言う気もあるんですけどね」

pause(新星堂)1999.12, p. 27
中川インタビュー。ライブ盤について。

DGTABLE(デジタブル)2000.1, p. 26
中川インタビュー。ライブ盤について。

タダダー(スペースシャワーTV) 2000.11
高橋敏幸へのコメント集に中川のコメント。「[会ったことはない。しかし、]何故か想像してしまうのだ。俺と君がギターバトルするその図を」。

目次

  外国語

Folk Roots no. 160 Oct. 1996, p. 29-31. by Paul Fisher
英文。中川インタビューと共にソウルフラワーの紹介記事。

Kansai Time Out Mar. 1996, p. 24 'Souf Flower blossoms' by John Potter
英文。中川への「長田つづら折りの宴」当日のインタビューをもとに執筆。
[翻訳]

明報周刊(香港)1489号 1997.5.25, p. 52
アジールチンドンのレビュー。「欲求離棄流行音楽的主導感性、自身文化的尋根是重要的旅程、「魂花合社」提供了一優秀的範例」

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新聞記事

夕刊など地方版のみ掲載分が多い。95-96年はじめのモノノケ関係については NO GURU 4 にまとめて掲載されている

読売新聞夕刊 1993.12.8
カムイ・イピリマに関するソウル・フラワー・ユニオン結成と「カムイ・イピリマ」紹介。

毎日新聞 1996.1.11 夕刊
本文「流行から離れた独自の活動を続ける大阪のグループ」

日経新聞 1996.8.4
見出し「作り替えこそ、はやり歌の文化 中川敬さん」

朝日新聞 1996.12.13 広告センター版
中川「俺らは仲がよくないもんの間に入って、音楽でつなげていくというようなことができるかなという気がするけどね」。

毎日新聞夕刊 1997.1.11 ワイドきんき
「CDタイトル[エレクトロ・アジール・バップ]は『電気を使ってアジール(避難所、権力の及ばない場所)から一撃』の意味」。

朝日新聞夕刊 1997.1.28 Entertainment
見出し「アートやなくて芸能や ロックと民謡融合 新作アルバム発表」

日経新聞夕刊 1997.10.28 (8)
見出し「日本のうたを探せ! 戦前の流行歌に脚光」。新星堂の「日本のうたを探す」フェアと「レヴェラーズ・チンドン」紹介。

日経流通新聞 1997.12.13 (10)
「先探人」のページ。紙面の半分ほどが記事。中川に焦点をあて、主にモノノケの活動を紹介。本文「大衆歌を掘り起こす取り組みはライフワークとなりつつある。東京・神田の古書店を回ったり、昔の「うたごえ運動」の資料を集めるなどの努力でレパートリーも増えてきた」。

朝日新聞夕刊 1999.3.8. 2面
アルバム「ウィンズフェアグラウンド」とライブ予定の紹介。中川のコメント。見出し「アイリッシュトラッドと融合 アジアの音交え新作」。

佐賀新聞 1999.2.19
全国人権啓発研究集会に出演したモノノケに関する記事。

日経新聞 1999.8.2 社会面
見出し「韓国で日本語ロック」。8月1日、釜山でのロックフェスに日本からソウル・フラワー・ユニオンとバレンタインDCが出演したことについて。 公的な場所での日本語が解禁されて(「自治体が主催する公演に限り自治体の判断にある程度ゆだねられる」)、初の日本のロックバンドとなった。 ユニオン出演時の写真つき(ない版もある)。

毎日新聞 1999.9.24 広告欄
この日各新聞にNTTコミュニケーションズの全面広告として中川&登川誠仁の写真が掲載される。

毎日新聞 1999.12.4 夕刊 (5)
関東版「楽庫(らっこ)」面に中川のインタビュー。見出し「雑居する文化、歌を祭る」として、震災のこと、ライブ盤について語る。後記では中川の父が毎日新聞の元記者であったことに触れられている。

朝鮮新報 1999.12.8 韓東賢
中川・伊丹インタビュー。震災で出会ったコリアンについて。北朝鮮の印象など。 中川「様々な文化が出会って小衝突をいっぱい繰り返すことが、大衝突を避けることにつながるねん」。

スポーツニッポン 2000.1.31 (22) 江良真
1.16モノノケなどの写真入り、ほぼ全面記事。 モノノケの活動紹介から、日本の音楽業界批判まで。中川・伊丹のコメントつき。 伊丹「[行政が建てたマンションの] あの重い扉は仮設で築いたコミュニティーも奪った」。

朝日新聞夕刊 2004.1.13 1面
連載「震災人国記」第1部 1 にソウルフラワー登場。

朝日新聞夕刊 2004.1.16 1面
連載「震災人国記」第1部 4 に「時をこえ「満月の夕」」として中川, 平安隆, ガガガSP (前田, 田嶋), 酒井俊の談話。

大阪日日新聞 2005.01.19, 2005.01.20 「『満月の夕』物語」上下
『満月の夕』を演奏するミュージシャン達をめぐる分載記事。

朝日新聞 2005.01.29 Be on Saturday e1-e2「ことばの旅人 山形/福島/神戸」
添田唖蝉坊の紹介記事に、モノノケと2005年1月16日長田神社イベントの紹介。イベントの写真と中川のコメントあり。

朝日新聞 朝刊 6面
「週刊アジア」欄。中川インタビュー「東ティモールと私」。

毎日新聞 大阪夕刊 1面 夕刊すとーりー「歌よ 満月の夕 中川敬・山口洋」 文・中村一成。かっこ内は「満月の夕」にまつわって各記事で紹介されている人物の名前。
2006.12.18 (1) こころ呼び戻す力 (中川敬)
2006.12.19 (2) 君の震災 俺の震災 (山口洋)
2006.12.20 (3) 祈ることはできる (沢知恵)
2006.12.21 (4) 沖縄の思い添えて (平安隆)
2006.12.22 (5) 時をかける「奇跡」(金田真須美, 広田奈津子)

朝日新聞 2007.5.20 朝刊 (22) 教育「おやじのせなか」
中川談話。見出し「人生決めた度重なる転校」。中川「最近初めての子どもが生まれたんやけど [...][両親と] ようやくいろんな話もできるかもね」

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図書

別冊宝島ロックファイル vol. 2
p. 84 メスカリンとオムニバス「ウェストサイケデリア」紹介。
p. 89 ニューエストとLP「センスレスチャター」紹介。見出し「ソウルとパンクが融合」。本文「現在のメンバーは、中川"ゲイリー"敬、BEN、奥野"ウキウキ"真哉、鈴木友之の4人」(原文一部省略)。

みやうち沙矢
145センチのありったけ
講談社、1990.11 (講談社コミックス別フレ)
[作者がニューエスト、メスカリンのファンで、たとえば収録作の「瞬ちゃんは赤」の主人公「今野瞬次」のモデルがどうみても奥野だったり、各所にニューエスト、メスカリンのことが出てくるのでこのページに掲載してみました]

長谷川博一編
Mr. OUTSIDE わたしがロックをえがく時 : ソングライティング・インタビュー集
大栄出版, 1991.6.
p. 161-185. 中川インタビュー。中川「偽善者をよそに探す前に、自分の中の偽善者を探してみるべきとちゃう?」。

ジャニス・ジョプリン
八曜社, 1993
内海洋子インタビューを収録。

日本ロックアルバム94
(毎日ムック 94.11.20)
p. [28]-31. 94.7.30日比谷野音の写真2P、メンバー紹介+写真1P、文1P。

DeMusik Inter
音の力
インパクト, 1996
p. 55-82. 大熊亘. 路上の世界音楽 : 民間ブラスバンドとしての「楽隊」「ジンタ」「チンドン」。
p. 83-92. 大熊亘. トム・コラ・インタビュー。

東琢磨編
国境(ボーダー)を動揺させるロックン・ロール : ソウル・フラワー・ユニオン
ブルース・インターアクションズ, 1998.6
ISBN:4938339382. 2400円

DeMusik Inter
音の力「沖縄」; 奄美/八重山/逆流編
インパクト, 1998. ISBN:4755400759
p. 129-144. 中川、大熊、持田明美鼎談。

小野島大監修
NU SENSATIONS : 日本のオルタナティヴ・ロック 1978-1998
ミュージック・マガジン, 1998.10.
p. 164-167. 早川達。ニューエストおよびメスカリン時代から、ユニオン(「マージナル・ムーン」)までのディスコグラフィーとバイオグラフィー。

ボクらのバンド生活(ライフ) : 聴いてるだけじゃガマンできないあなたへ
アスペクト, 1999.10 (特集アスペクト ; 76)
[キーボーディストとして奥野が掲載されている。未確認]

能地祐子, 本秀康編
無人島レコード
ミュージック・マガジン, 2000.4.(レコード・コレクターズ2000.4増刊号)
p. 126-127. 中川の文章。見出し「"持つこと"のむなしさを、あの震災が教えてくれた。それでもリマスター、紙ジャケを追いかける悲しき習性」。 中川の選ぶ「無人島レコード一枚」は、SFU「ハイ・タイド〜」。

森口秀志編
これがボランティアだ! : NPO新時代を生きるために
晶文社, 2001.7
p. 271-276. 伊丹インタビュー。伊丹「[ユニオンの自己主張に対して、モノノケは] 避難所と避難所、人と人とを結びつける接続詞みたいなもので、バンド自体には意味はない」

中川敬
中川語録1986-2002
歌垣社 UTAGAKI-001, 2002.12
当初ライブ会場のみで販売された後、breastオンライン・ショップで販売。

森達也
世界と僕たちの、未来のために : 森達也対談集
作品社, 2006.1
インタビュー 中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)「知識や理屈以前に、その場で出会ってしまった人間に興味を持たざるを得ない」を掲載。
>>HP

石田昌隆
オルタナティヴ・ミュージック(ミュージック・マガジン増刊)
ミュージックマガジン, 2009.6
写真ページにモノノケのライブ写真(2000,8,12 横浜寿町)。p.378-381に記事。
>>HP

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